切り札としての権利
長谷部・憲法(149頁)は「個人の自律の核心にかかわる、公共の福祉による制限を受けない権利は、個人の尊重を規定する憲法13条前段によって保障されていると考えるべきであろう。同条後段と異なって、前段には、公共の福祉による制限が付されていない。……13条前段は、個人の自律を保障する『切り札』としての権利の存在を一般的に宣言した原則的条文として受け取るべきである。」として、切り札としての権利の核心である、個人の人格の根源的な平等性(長谷部・憲法(115頁))を、公共の福祉によっても制限されない原理と位置づけている。
では、諸々の権利の中で、どれが切り札としての権利なのか。
長谷部は、人権が侵害されているかどうかは、いかなる理由に基づいて政府が行動しているかにかかるところが大きいから、つまり、政府が個人の根源的平等性を否定するような根拠に基づいて規制を行っているか否か(自分の生き方を自ら構想し、それを生き抜こうとする個人のあり方を否定するような規制であるか否か)にかかっているから、個別の権利を単位に切り札の権利かどうかを判別することは不可能とする。
そして「思想信条の自由、信教の自由、表現の自由など、さまざまな個人の自由……とくに、その核心となる部分が社会全体の利益を理由としても侵害されえない『切り札』として取り扱われるべき」としている(長谷部・憲法(150、163、164、168頁))。
長谷部の説明に異議はない。しかしながら、一つ疑問がある。切り札としての権利の核心にあるのが、個人の人格の根源的な平等性だとすると、憲法十四条一項(平等権、差別されない権利)は、切り札としての権利を体現する特別な権利である可能性があるのではないか。
そして、その特別な権利の観点で憲法を捉え直すと、これまで判別困難だったあるいは比較衡量の問題と見做されてきたことの本質が見えてくるのではないか。
そこで、本書では敢えて、どの権利が切り札としての権利を体現する特別な権利なのか検証することを視野に、個別の権利を単位に、切り札としての権利かどうかを判別してみることにする。
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