【前回の記事を読む】老人ホームで食後に「お代は? どうしたらいいの。私、お金を持っていないんだけど」

第二章 これが老いなのか、誰もが迎える不確かな世界

「自分」であって「自分」でない

さらに私は一歩つっこんでもいた。

「それなら三者が同じ場に立って各々の意見を言いましょうよ。お互いの言い分がわかって、三者が歩み寄って納得して結論を見い出せるではありませんか」

出がけの玄関口でその答えが出るわけはないので、私は興奮した自分の気持ちを抱いたままひとりで夕方の街へ出かけ、綾野さんは部屋に戻っていった。

老人ホームでは「自分」であって「自分でない」を強く考えさせられた出来事だったがそれは今でも未解決のまま私の胸の内にある。

ここで私自身のことを書いておかなければならない。

月々のホームからの請求書も保証人の息子の元に郵送されることはない。ホーム長が直接私の部屋にその封筒を持ってくる。私がその内容をチェックして、その月の銀行口座から引き落とされる金額を知る。そして記帳された金額を確認して終わる。

予防接種も本人の私がする。私が承認したことが息子の方に伝えられるのかいまだ聞いたこともない。散歩もひとりで自由に出られる。もっともこの時ばかりは事務室に声をかけ、すると万一の時のためにホームの電話番号の書かれたカードを渡され、私はそれを首から下げてそれでOKである。

ここまでの私は「自分」が「自分」であって、自分が責任を持って生きている。

心身という言葉があるように人間は「心」だけで生きているわけではない。もう一つ「身」という「体」があるのだ。この「体」に関しては「自分」であるのに「自分のものではない」。それが老いのせいだということは十分理解しているが、いまだに受け入れられないでいる。私の体は自分であって、自分でない、「借り物」なのだ。

以前イタリアさんが「私は足が二本あるのよ。それも健脚よ」と言ったが、それと全く同じである。イタリアさんにとっては歩いていた時が「自分」であって、車椅子の自分は「自分ではない」のだ。

そうなると老いの中で生きているというのは「自分」なのに「自分でない」という不安定で、不確かな人生を生きなければならないのか。

まず目覚めるとその時の私はすでに息苦しさが伴っている。これは非結核性抗酸菌症という病気のせいではあるがこの疾患以前には呼吸を意識するということはなかった。 それに「歩く」である。多少見栄を張って気張って歩いてはいるが、いつ、どこでも歩くという意識がつきまとう。

柔軟性を失った脚は糸で操られている人形である。その糸は各関節毎にくくられており、その間の脚は棒である。棒を継いだ脚は「自分のものであって自分でない」。仮のものである。

「老い」を生きるとは、この妙な世界を生きているのだろうか。