自分であって自分でない 追稿
自分であって自分でない ── このタイトルで原稿を書いている最中に衝撃的なニュースが飛び込んできた。「最期は本名で迎えたい」である。
老人ホームの生活の中で「自分であって自分でない」は多くの人たちには意外というか理解できないかもしれないという思いを持って私は書いていた。地に足のついていない不安定で、不確かな思い ── これが私が言う「自分であって自分でない」なのだ。
ましてやここで桐島聡の告白が出てくることはさらに唐突で疑問に思われる人がいても当然である。しかし私が敢えてこのニュースを追稿として書き加えようとしたのは死傷事件まで起こして逃亡していた犯人の五十年という長い「自分でない」人生に終止符を打ちこの男が取り戻したかった「自分」である。
戦争もなく革命もない平和な日本の今でも私が「自分でない」と日々感じている老いの人生とどこかでつながっている共通点があると思ったからである。それでたとえ理解
されなくても敢えて書き加えることにした。
一九七四、七五年に起きた連続爆破事件(ゼネコンなどに爆発物が相次いで仕掛けられた)に関わって指名手配されている桐島聡を名乗る男が入院先の病院で自ら「最期は本名で迎えたい」と告白したため警視庁公安部が接触したというニュースである。
彼がこの事件に関わったのは二十歳、彼の逃亡期間はなんと五十年に及んだ。この長い年月を逃亡してきた彼が最期に臨んだ時、この大きな事件の犯人だと名乗ったのか。つまり自分は殺人者であると告白したのか。
私は彼が生きた証しを示したかったのだと思っている。人は「借りもの」のままなんの生きた証しも残さず死んでいくのには耐えられない。彼が二十歳で爆破事件に加担した時、彼はそこに「戦わねばならない」と決意した「自分」がいた。
死傷者を出した大きな事件ではあるが私は今、ここでその「重大さ」「罪」を云々しているのではない。時代の渦に巻き込まれて体制、国の政策に命を懸けて抗議したのは、彼にとってまさにそれが「自分」であったからだろう。
その責任、その罪を告白することが「自分」を取り戻す最後の時だったのだ。
【イチオシ記事】「私を抱いて。貴方に抱かれたいの」自分でも予想していなかった事を口にした。彼は私の手を引っ張って、ベッドルームへ…