【前回の記事を読む】「絶対に治してやる」2人の偉大なお医者さんは私の病気と将来に真剣に向き合い、試せる治療はすべて挑戦してきて下さった。
4章 大阪大学附属病院入院時代
病気の理解と治療
阪大病院に入院して、河先生と井上先生に出逢ってから、私は初めて自分の病気と治療について理解をすることができた。先生方が私に病気のことを説明して下さった日のことをとてもよく憶えている。
私が理解しやすいように、先生方がカンファレンスルームのホワイトボードを使いながら、どんな病気でどんな治療を受けているのかを説明して下さった。
最初の方で述べたように、私の病名は「若年性多関節リウマチ」で難病指定にされている免疫異常の病気だ。
体が病気になった時にその異変を感知して闘ってくれるのが免疫だ。だが、私の免疫は正常に機能せず、体に異変が起きていないにもかかわらず、まだ異変が起きていると勘違いし、自身の免疫が自身の関節を痛めつけるのだ。
なんとどんくさい病気だろう。どんくさい私? には似合っている病気かもしれない。だってそうやろ、「あほか、何年勘違いしてんねん。しつこいわぁ」とツッコミたくなる。
阪大病院での入院中は、少しでも可能性があり試すことができる治療はすべて挑戦してきた。河先生も井上先生も新治療方法に対していつも積極的な姿勢だった。
恵まれた環境に生まれた私は、認可されていない点滴治療や服用薬を試すことができた。両親には本当に感謝している。
挑戦した点滴治療のひとつに、母と私が名付けた“シャンデリア”治療(インターフェロン治療)があった。その点滴ボトルは綺麗な硝子のボトルで光があたると虹のようにキラキラしていた。