私も弟も特に祖母の作るカレーとすき焼きが大好物だった。ある日、病棟中に美味しい匂いが漂って、看護師さんに「食事制限している子供たちもいるので……」と注意されたことがあった。それでも、祖母は看護師さんに謝りつつも、私の好きなものを作り続けてくれた。

私の調子がよい時には、当時、流行っていたアニメ「聖闘士星矢」や「キン肉マン」ごっこをして弟と遊ぶ時間がとても大好きで楽しかった。ごっご遊びではいつも最後には弟にこてんぱんに負かされていたことも、私のよい思い出になっている。

悲しかったのは、弟と遊んだ後、時おり私の症状が悪化してしまうことだった。両親に弟と遊ぶのを禁止されるのではないかという不安があった。しかし、そんな不安は必要なかった。

三つ離れた姉は、週末にはバスと電車を乗り継いで遊びに来てくれていた。週末が来るのが待ち遠しかった。姉と弟とテレビゲームをしたりして三人で遊ぶのが大好きだった。二人が私の友達だったから、寂しい気持ちになったことはない。

病棟では運動会や夏祭りを催してくれ、私は姉と弟と一緒に行っていた。二人は私の代わりに運動会に参加し、かけっこや玉入れをした。私にとって玉入れは興奮・熱狂する種目であり、二人を大声で応援した。とっても楽しかった!

夏祭りも三人一緒に参加した。どんくさい私が金魚すくいで二匹の金魚を釣ったどぉーっ! その金魚たちはどうなったのか。二匹の金魚は私の病室で育てることにした。病室で生き物を飼うことを、谷池先生や師長さんが見逃してくれていたのだろうか?

電気で水が循環し水槽の中には金魚たちが遊べるお家がある本格的な水槽で飼っていた。餌やりは私の日課になった。私の賢い金魚たちは餌をやろうとするだけで寄ってきた。なんだか愛おしくなって彼らも私の友達になった。

次回更新は12月8日(月)、18時の予定です。

 

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