【前回記事を読む】都電の停留所で出会った彼女。言えなかった一言が、今も心に残っている

片想いだらけの青春

3 大学時代

私の古代史への入り口は、杉山晴康教授の「日本法制史」の講義だった。恬淡(てんたん)な先生で、決めゼリフは「(将棋の)大山は康晴、杉山は晴康。間違わないように」が口ぐせだった。

講義の中でたまたま宮崎康平さんの本を紹介されて、「その著作(『まぼろしの邪馬台国』)の結論はおいといて、男のロマンを感じる」と言われて、その本を手に取って読み始めた次第である。

また、忘れてはならないのは法律書に馴染めず、このままでは「中退」になりかねなかった自分を救ってくれたのが、松陵齊藤金作先生だった。

戦前から終戦後も引き続き教鞭をとられ、毀誉褒貶入り交じる先生ではあったが、私にとっては「救いの神」。お蔭で何とか卒業できた。

『松陵随筆』齊藤金作(昭和四十三年三月二十日 成文堂)

教育については人それぞれに感じ方がある。講義の中にたびたび笑いを誘い、また時に反発する声を聞いた。ペスタロッチの教育論を持ち出すまでもないが、「この世に教育があるとすれば、それは自己教育をおいて他にない。

あるいは、そのことを気付かせるあれこれの方法があるにすぎない」という。その手法は、その人に心酔して、その教えに付いていくか。

またはこの人の話を聞いても参考にならないと自分なりに探究の道を求めるか。恥ずかしながら、私はこの授業で初めて教科書を完読した。

「君たちは面白い小説は最後まで読みきるだろうが、高校の教科書は授業の進んだところまでで、多くの学生は残りのページは綺麗なままではないですか?」

そう言って齊藤先生は、自立心・自主性を我々に促してくれたようだ。