また、私は将来の夢や、やってみたい仕事が見つからず、高校2年生の秋に“とりあえず美鈴湖の通っている専門学校へ行ってみようか”という思いで進学を決めていました。その専門学校は卒業とともに保育士資格と幼稚園教諭2級の資格をとれる所でした。

進学先が決まるとすぐに音楽の先生が放課後にピアノを教えてくれるようになりました。ピアノの経験のない私はバイエルという本を用意し、毎日音楽室のピアノを借りて練習を進めていましたが、練習時間に対して進み方が遅いとバンドをしている同級生の男子に言われていました。

《笑い》

高校生でも毎日が何でも面白く、家庭の中でも笑いが治まらなくなると母に「もう、笑うのを止めなさい!」と怒られる時がありました。父は私を注意すればするほど笑うので姉が「妙子の笑いを止めなさい!」と怒られていましたが姉にしてみると、とんだとばっちりでした。

けれども、基本的には父も母も笑い上戸で一緒になって笑うことが多くありました。よく近所中に笑い声が響き渡っていて、近所に住んでいる聖子がたまに私の家の前の道路を通る時に宮永家の笑い声を聞き、次の日に学校で「妙ちゃん、昨日は何がおかしくて笑っていたの?」と聞いてくることもしばしばありました。

《生活の管理》

時間の管理

学校生活でも物事に優先順位をつけたり時間配分を考えながら行動することが苦手でした。次の授業が体育の時の休み時間には、いつも杏に「もうジャージに着替えて!」と促されることがしばしばありました。

杏と愛香は時間ギリギリでも私の用意が終わるまで待ってくれていました。体育館までの移動の間にチャイムが鳴り始めると私は全力疾走で走って二人を置いていくと、運動音痴で走るのが遅い二人が「妙ちゃん、待って!」と言いながら必死で走る姿が可愛くて、毎回わざと二人をおいて先に走っていきました。

 

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