小碓の話を聞いてから、フタジは後ろ向きになり、背中を震わせていた。涙が溢れて止まらなかったのだ。
フタジは和歌を詠んだ。
道の辺(へ)の 草深百合(くさふかゆり)の 花笑みに
笑みしがからに 妻と言ふべしや
(引用文献1)
[現代語訳]
道端の奥の草むらに咲く百合の花が、風に揺れてまるで微笑んだようにみえます。それと同じで私がちょっと微笑んだくらいで、妻にするとおっしゃって良いのですか。よくお考えなさい。
フタジは涙を拭いて笑顔で小碓に振り返った。民衆の間でよく流布されている流行り歌である。
小碓は笑いながら、やはり流行り歌で返した。
たらちねの 母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まゆごも)り
いぶせくもあるか 妹に逢はずして
(引用文献2)
[現代語訳]
お母様が大事に育てている蚕が繭の中にこもって隠れている。あなたはその蚕と同じように、お母様があなたを外に出さないように厳しく見張っています。だけど恋する人に逢わなければ、気が狂いそうになります。どうにかしてください。
という意味であった。
(1)小島憲之他訳『日本の古典をよむ4 万葉集』小学館、p 181 、国歌大観(1257)
(2)小島憲之他訳『日本の古典をよむ4 万葉集』小学館、p 239 、国歌大観(2991)
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