反面、修行は荒行と呼べるほどに厳しいものであった。

山々を駆け回り、静穏なる場所を見つけては腰を落ち着ける。瞑想によって心を清浄にしたのち、息の続く限り真言を唱える。一日の修行を終えると、木の実を食べてそのまま露泊することもあれば、近くの寺でほどこしを受けることもあった。

そうしているうちに季節は幾度か巡った。襤褸切(ぼろき)れをまとうからだは痩身を通り越してやつれ、髪は蓬(よもぎ)のように伸び放題となり、その目つきだけが鋭さを増していった。

回想を終えた真魚は「いかんな」とつぶやき、雑念を追い払うように真言を唱え始めた。

「ノウボウ、アカシャ、キャラバヤ、オン、アリキャ、マリボリソワカ」

声を張って真言を唱えていると、声がこだまとなって反響し、心に感応した。都での暮らしは遠い過去のものとなり、世俗から離れた生活にすっかりとなじんでいた。

翌日、阿波国(あわのくに)の大滝嶽(たいりょうのたけ)をあとにした真魚は、土佐国(とさのくに)を目指して歩き始めた。当初は尾根伝いに斗藪(とそう)をするつもりであったが、山岳地で長く過ごしていたせいか、潮の匂いが懐かしかった。

山を下りて南に進み、海沿いをゆっくりと歩いた。寄せては返す波の響きと、木々の葉の擦れ合う音が重なり、耳に心地よかった。波を立て、葉を揺するのは、風の仕業であった。真魚は目に見えぬ風の音を捉え、心で感じていた。

数日後、海辺を歩いていると、突端が海に迫り出した岬が見えてきた。

「あれが室戸崎(むろとのさき)か」

真魚は歩を速めた。観想に適する場所であるという予感は、海へ近づくにつれて確信へと変わった。岬の東端に着くと、真魚は岩場に降り立った。荒波が岩礁に砕けてはしぶきとなり、大きく跳ね、そして海へと戻っていった。

逆巻く波濤(はとう)を見つめていた真魚が振り返ると、岬の絶壁に洞窟があった。足を踏み入れてみると、清澄なる気が満ちている。

「ここにするか」

真魚は平らかな石に安座した。その位置からは、窟(いわや)の入り口の向こうに広がる空と海だけが見えた。さっそくのうちに瞑想に入り、あるがままの自分を感じた。そして、いつもの修行と同じように真言を唱え始めた。

「ノウボウ、アカシャ、キャラバヤ、オン、アリキャ、マリボリソワカ」

真言は窟への反響ですぐに自身へと返ってくる。真魚は主体と客体が消滅して溶けるような感覚を味わっていた。真魚の声は自然と大きくなり、熱を帯びていった。

しかし疲れは微塵も感じず、飲まず食わずで修行に打ち込んだ。

 

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