【前回記事を読む】年老いた愛犬が心配で、仕事場まで連れて行った。必死でお客さんをさばいた後、様子を見に行くと…
第一走者 ピッポ(ビーグル犬)
老いてもなお
もう少し待っていてくれたらよかったのに、と私は自分勝手なことを言って、息をしていないピッポの体を撫でた。
最期を看取ってやりたかった。
が、こればかりは運命だから、仕方がない。
ピッポにしてみれば、導かれるままにただ歩きたい方向へ歩いていっただけかもしれない。
もうリードに束縛されることもなく、空腹に悩まされることもなく、好きなだけ好きなところを思う存分歩き回る。面白いものを見つければ追いかけ、臭いを嗅ぎたいものがあれば存分に嗅ぐ。
きっと今頃は、小川のある緑の草原を楽しく走り回っているに違いない。
たかが犬、されど ……
平成八年(一九九六年)七月から平成三十年(二〇一八年)三月まで、地元のタブロイド判の新聞に、私はコラムを書いていた。執筆陣が八~十人ほどいて、月に二回ほどのペースで担当が回ってきた。
日頃気づいたことや、地元の話題、仕事に関すること、あるいは文化論的なことも書いた。が、話題に事欠くと、周囲にいる犬や猫を題材にして、六〇〇字ほどの原稿を書き上げた。
平成九年(一九九七年)九月にピッポが死んで、『人間最良の友』と題して、人間にとっていかに犬の存在が大切かを書いた。まだ書き足らずに十月には『たかが犬、されど …… 』と愛犬の死を悼んだ。
犬好きの人が多いのか、コラムの反響は大きかった。さまざまなことをとり上げて書いて、結果的に二十年以上書き続けることになったが、犬をとり上げて書いたときが一番反響があった。
ピッポへの追悼文が掲載されてすぐの頃、夫が近くのゴルフ場へ行った。キャディさんは近隣のパート・アルバイトが多いので、そのときもおそらくは地元タブロイド紙の読者だったのだろう。たまたま私の夫であることを知っていたらしい。
帰宅した夫が、「今日は大変だったよ」と言う。
理由は、ついたキャディさんが「私も最近愛犬を亡くしたんです」と、涙ながらに犬の話をあれこれしたから。コースを回る間、ずっと犬の話で盛り上がるやら涙を流すやらで、一日大いに疲れたという。
愛犬の死で、「ペットロス」という喪失感に襲われる犬好きな人は多い。殺処分ゼロを目指す活動をしている人たちは、犬が死ぬことを「虹の橋に旅立った」と表現している。ピッポはきっと楽しそうに白い尻尾をピコピコ振りながら、自由に満足そうに虹の橋を渡っていったに違いない。