私が実習に慣れてきた頃、女児がトイレに行きたいというサインで寄って来たので何気なく連れていった。それが後々になって、主任にきつい注意を受け、実習の評価を下げることになった。
女子児童はその頃一人でトイレに行く練習をしていたので、パターンを崩されてしまったというのがその理由だった。知らなかったこととはいえ、この経験から学んだことは多く、障害児に関わる者は小さなことまで情報の共有が不可欠だと強く感じた。
おかげで自分が開業してからは、スタッフ全員で通ってくる子どもについてすべて情報を共有し、対応を話し合うことにつながっている。実習で気付かされたこともあった。実習で家庭科の授業(サンドイッチづくり)を担当した時は、主任に貴重なアドバイスをもらった。
「大人にとっては効率的でも、障害児は二つのことを同時にすることが難しい。だから、卵サンドを作る時は、卵が茹で上がるまでじっと見させていてもいいのよ」
と言われた。
実習をやったことで障害児教育、療育の方向が定まり、その時の経験が自分の療育施設立ち上げの羅針盤になった。そして実習指導をしてくれた主任の信念・根気・忍耐には共感するものが多かった。
五年もかかってしまったが、何とか大学を卒業し、小学校教諭一種免許状も取得した。
子育てと障害児の勉強で無我夢中で過ぎた五年間だった。
第二章 実践小学校障害児教育 おひさま学級(仮名)
二人の自閉症男児
双子の息子が小学二年になった時、三十六歳の私は臨時・産休の代用教員、講師として学校現場で働くことができるようになった。それからことばの教室、三年生の通常学級、特殊学級(今の支援学級)、養護学校(今の特別支援学校)などを渡り歩いた。
四校目の特殊学級「おひさま学級(仮名)」は丸々一年間在任したので、自分が考えてきた指導ができ、充実して有意義だった。知的障害の女児と男児、難聴プラス知的障害の男児、不登校気味の男児、自閉症の男児二人の合計六人のクラスだった。自閉症の二人は、知能検査が測定不能で重度判定と引き継ぎの書類に書いてあった。
自閉症の一人T君は多動ではないが、休み時間はウンチング座りであらぬ方向、斜め上をずっと見ていた。もう一人のY君は超多動だった。Y君のお母さんの悩みは、発語より靴下を履けない、裸足で勝手に外に出て行ってしまうなどの多動行動だった。
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