不比等は読み上げながら、時々男たちを見やった。隣の者と目を合わせ、挙動不審となるその機が皆、一緒だった。

不比等は無表情を装いながら、腹の中で笑った。

「……。

“五年夏六月、人を池の堤の樋中に入らせて、外に流れ出るのを三つ刃の矛でさし殺して喜んだ”

“七年春二月、人を樹に登らせて、弓で射落として笑った”

“八年春三月、女たちを裸にして平板の上に座らせ、馬を引き出して面前で馬に交尾させた。女の陰部を調べ、うるおっている者は殺し、うるおっていない者は、官婢(かんぴ)として召しあげた。これがたのしみであった”」

男たちの顔は真っ赤になり、額から滝のように汗が流れてきた。

不比等はつい、笑みを浮かべてしまった。抑えられなかった。しかし彼の変化に気付くほど、余裕のある者はいない。

「“その頃、池を掘り、苑を造って鳥やけものを満たした。そして狩りを好み、犬に追わせて馬を試した。大風や大雨も避けることがなく、出入りが気ままで、自らは暖衣(だんい)をまとい、百姓のこごえることは意に介せず、美食を口にして天下の民の飢えを忘れた。

大いに侏儒や俳優(わざおぎ)を集め、淫らな音楽を奏し、奇怪な遊びごとをさせて、ふしだらな騒ぎをほしいままにした。日夜後宮の女たちと酒におぼれ、錦の織物を褥(しとね)とした。綾(あや)や白絹(しらきぬ)を着た者も多かった。

冬十二月八日、天皇は列城宮なみきのみや(奈良県北葛城郡志津美村今泉)に崩御された”」