私たちの乗った汽車が進むにつれて、雪はなくなり、韓国の険しい山々が、ひっそりと谷間に佇(たたず)む小さな村々とともに見えてきた。日本で昔から「朝の静けさの国」と呼ばれている朝鮮は、山の多い国である。
内陸は花崗岩の峰々、深い峡谷と豊かな渓谷が至る所にあるが、日本に渡るとき目にした起伏が多く不規則な東の海岸線は山麓の周囲を曲がりくねっていた。通り過ぎた丘や林の中には祖先を埋葬した墳墓があった。私たちは道すがら、頑丈で良い体格をした日本の兵士の姿と彼らの軍人らしい物腰にとても感動した。
ここには熊や鹿、そして狩猟家にはよく知られた長い毛の韓国虎が生息している。外国人の狩猟家は、これらの丘の好きな場所で自由に狩りをしても良いことになっていて、小さな村の藁拭き屋根を見下ろせる尾根で虎を待ち構えたり、夜間、村にあるテントから丘の上で獲物を探す虎の唸り声を聞いたりすることに、異様な興奮を感じるのであった。
この唸り声に驚いて、イノシシやホッグジカは恐怖に駆られて闇雲に逃げるが、全速力で追いついた虎に仕留められるのである。
各村には警笛を鳴らす人が夜間警備に当たっていて、彼らが警笛を鳴らすと、人々は皆、虎が現れたことを知らせる警報のブリキ鍋をたたいて獣を追い払う。
韓国の農民たちは虎の肉を食べ、血を飲むが、これは勇気と強さを彼らにもたらすと信じられている。彼らは長くて白い髭から万能薬を作り、小さな鎖骨を不運にも遭遇する悪霊から身を守るお守りとして使う。
中国人の黒っぽい服装やロシア人の毛皮のコートを目にしたあとで、冬なのに男女共に白い木綿の衣服を着ていたのは少々驚きであった。
白色は韓国では喪の印であったが、今では国民的な身なりになっている。そうなった経緯については、いろいろな話がある。
それらの一つによると、十九世紀の初めに三人の王が続けざまに亡くなり、すべての人は君主の死後三年間は喪服を着ることを義務付けられていたため、この期間が終わるころには、染物屋はみんなやる気をなくし、店仕舞いしてしまったので、白色が人々の衣服になった、というものである。
今日、男性が実際に喪に服している時、彼らは大きな麦わら帽子をかぶり、喋ることは適切ではないと思っている。
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