真亜は車も持っていたし、一緒に行こうと提案したら紫衣は嬉しそうに頷いた。

人生でこんなに楽しかったことはない。翌日が待ち切れず、でもローテンブルクでもエスコートしようと真亜はレストランや行く途中の街を調べあげていた。

そしてもっと一緒にいられる方法を考えていた。

真亜が考えていたより簡単に、紫衣が「泊まったら?」と言った。

お互いの気持ちを確認するのに時間はかからなかったし、シャガールの青の中に入り込んだような海の中へ二人はどんどん揺らいでいった。

紫衣のあの言葉を聞くまでは。

「私は南部先生を許さない」

——紫衣、それは僕の父親だ。

僕の名字は南部だよ。そしてその病院は僕の父親が勤めていた病院だ。

紫衣、ごめんなさい。紫衣のお父さん、ごめんなさい。

あなたたちの人生をめちゃめちゃにしてしまった。

ごめんなさい——

真亜は紫衣が眠りについた後に、声に出さずに涙を流し、そしてメモ用紙に手紙を書き、紫衣のスーツケースに入れた。

プチホテルの女主人には宿代と紫衣の帰りのタクシー代と多すぎるチップを渡し、紫衣を送るフランクフルトまでのタクシーを頼むように伝えた。

すぐに父親に電話して真相を確かめなくては。真亜は急いで自分のアパートメントに戻った。

しかし、秀光から答えを聞けることはなかった。

日本では1980年代後半から1990年代初頭にかけて、経済が急速に成長し、株価や不動産などの資産価値が急騰した時期がある。この時期、不動産や株式などの資産価値が異常なまでに高騰したことから金融機関が大量の融資を行ったために、景気が急激に好転した。一部の銀行や投資家が莫大な利益を得ただけでなく、一般人にも一定の恩恵があった。バブル景気とも呼ばれその後の経済状態を左右する大きな影響を与えた。

しかし、バブル景気は1991年にバブル崩壊が起こったことで終わりを迎える。その後、不良債権問題が顕在化し、経済の低迷や企業の倒産が相次いだ。バブルの繁栄とその後の崩壊という激しい変動が、今日の日本の社会経済に大きく影響したのである。

 

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