(3)研究所でプラント実験、ガラス製造のシミュレーション等を行う

筆者は、その後、研究所に転勤となり、4年間ほど、プラント実験、コンピュータによるガラス製造のシミュレーション等を行った。

プラント実験は、(イ)旭硝子の他の主要製品であったソーダ灰の製造過程で生ずる苛性ソーダをガラス製造の原料として利用できないか、あるいは(ロ)ガラスを割れ難くするために金属線を入れる方式などについて、数分の1規模の装置の模型を使って実験をするものであった。

コンピュータによるガラス製造のシミュレーションは、流体の運動についての「ナビエ・ストークス」の式と伝熱の式の連立方程式系の数値解を求めて溶解したガラスの流れを解明し、装置の形状、加熱方式等の最適化をしようとするものであった。

最終的には、自動操業に歩を近づけるようにするものであった。この時、「フォートラン」言語を使ってプログラミングも行った。当時はコンピュータの容量も小さく、その操作にも苦労したので、コンピュータの特性なども分かり、良い経験となった。

なお、旭硝子在籍中に、当時新たに制定された公害防止管理者大気関係第1種と同水質関係第1種の試験に合格してその資格を取得した。他に、危険物取扱者(ガソリンスタンドの運営に必要等)の資格も取得した。

以上のように、筆者は、運もよく、研究者・技術者として、理学→工学→開発→製造の過程の経験を、高いレベルで経ることができたと考えている。これがその後の知的財産権の仕事及びそのさらに基となる発明の成立等研究・技術にかかわる問題を考える上で重要なバックグランドとなっている。

筆者が会社について考えるときの原点は旭硝子である。現下の企業社会のもとで一つ良い会社(組織)を経験しておくことの意味を感ずる。

その後、筆者は、端的には「技術をいかに社会に生かすか」ということを提言できる立場になりたいと思った。

当時は四大公害訴訟(水俣病、イタイイタイ病、新潟水俣病、四日市ゼンソク)も生じ、技術に対して批判的な目も向けられたが、社会の進歩に対して技術の進歩は不可欠と考えたからである。

そして、そのためには、いずれ司法試験を受けて弁護士にならねばならないと思って旭硝子を退職した。

 

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