【前回の記事を読む】世界一流の研究を学び、実業界での挑戦へ——大阪大学での研究から旭硝子株式会社での製造現場で経験したこと
第1章 筆者の経歴
3 会社を考える原点・旭硝子株式会社(現AGC)
(2)貴重だった旭硝子鶴見工場での2年間
筆者にとって、この2年間は極めて貴重な体験となった。まず、新鮮に分かったことは、工場では作業員(労働側部門)と管理者(経営側部門)とが然截(せつぜん)と区分されていたことである。
筆者は管理側の末端で、製造装置建設時及び三交代主任として、自分の組を持ち(例、三交代では十数人程度)、その賞与の加点の推せん権があり、年次有給休暇の許可などをした。そして、部門の変更は容易ではなかった。
我々の世代は、特に学生の当時は未だマルクス主義に対する強い関心があったが、そこでいう「階級」とはこういうものかと分かった。
次に、当時の上司であった課長故T氏は、東京大学理学部物理学科の出身であったが、無から有を生み出すような着想があった。ただし、本人は論理的に思いついたと思っていたかもしれないが。
筆者がこれまで知った人の中で最も創造的な着想のある人であった。後にA式引き上げ法という板ガラスの製造方式を完成し、会社は、これを特許化し、会社に多額のロイヤリティーをもたらした。
T氏は常務取締役にまでなった。筆者はT氏からは技術的にも会社組織的にも多くのことを教えられた。
一般に我が国の伝統のある良い企業は社会教育の場にもなっている。このような会社に一定期間勤めるうちに社会人として教育され、例えば、関東、関西、九州(最近では外国も)と転勤することによって、我が国の代表的な文化圏も知ることになると思われる。
筆者も自分の事務所を運営するにあたって、学校卒業あるいは司法研修所修了の者を入所させており、このような社会教育の必要を痛感しているが、必ずしも十分にできているかと自省している。
筆者が当時考えたことの一つとして、次のようなケースがある。製板過程でガラスが割れたりしてカレットとなった場合、これを破砕して原料投入口へコンベアで搬送するのであるが、これが詰まりやすいことがあった。
この詰まりやすい箇所をよく観察してその原因を考え、そこにカレットの流れを調整してスムーズにするために邪魔板(小さい平板)を入れてやることなどが思いつかれた。現在考えると、こういう「、観察をして工夫する」ということが発明の原点ということになろう。
なお、ガラス製造では、割れたガラスはカレットとして再利用でき、カレットがあった方が原料溶解の熱効率が良いという極めて有利な原価構造となっている。