【前回の記事を読む】大学病院で初めて主治医となったのは…2kgにも満たない5カ月の乳児だった。たくさん採血をして検査や治療をしたが…

小笠原先生ごくろうさま ―私も新たな出発へ―

小笠原先生のあとを受けて、書きませんかとお話をいただくとは夢にも思わなかった。いや夢にも思わなかったといえば少し嘘になる。

病める人々の心のごくわずかな揺れまでも繊細に表現する小笠原先生の、私自身が大ファンであり愛読者であったわけで、同じ医者として、こんな仕事ができたらどんなにいいだろうと、ふと考えたことはある。

しかし大役だ。じっとこちらを見ている多くの小笠原ファンの目を痛いほど感じる。小笠原先生に直接会ったことはない。しかし私のイメージの中には小笠原先生がかなり具体的な姿で登場する。

清潔な白衣を着て、長身で端正な顔に柔和な笑みを浮かべて、患者のベッドのわきにそっと腰を降ろしている。指なんかもピアニストのようにすらりと長いに違いない。

私はといえば私服で医者に見られたことはまずない。白衣を着てもなかなか医者に見られない。目の前でぐるぐる聴診器を回していると、「あれひょっとして、あなたお医者さん?」とようやく認識される。

4、5歳の子どもが「ねえおっちゃん!」と話しかけてくる。今、診察し終わったばかりなのにである。急いでお母さんが口をふさいで「これ! なんてことを!」と叱る。子どもは実に正直だ。

小笠原先生のお別れの文章を読んだ。先生が、高知へ帰られて町のお医者さんになるという決心をされ、人生の転機を迎えられた。他人には突然のように見えて、先生の人生の中で、以前からおぼろげながらのストーリーが出来上がっていたのだろう。

私も転機を迎えた。23年の小児病院での勤務に終止符を打つ。このコラムが初めて載る日に、私が愛し、私の青春だった、一番大事にしてきた小児病院を去り、新たな出発をすることになった。