「四天王」と妖艶さ
先に挙げた美術史家ウッドは、「ヴィクトリア朝古典主義四天王」のうちアルマ=タデマの画風がもっとも個性的であるとして、レイトンとウォッツとに対比している。ウッドの見解の核心部分は以下のようになる。
アルマ=タデマの絵画はレイトンやウォッツの絵画世界と対比して、これ以上ないほどの対照を見せる。レイトンとウォッツが古代ギリシャ神話の再解釈を追求したのに対して、アルマ=タデマは古代ローマの日常生活を仔細に描くことにこだわった19世紀の画家=好古家の典型であった。
レイトンとウォッツの画風は高貴で心に響く知的なものであるが、アルマ=タデマのそれは写実的で卑近な逸話的出来事を記録している。(Wood1995年56頁)
The contrast between the art of Alma-Tadema and that of Leighton or Watts could hardly be greater. Whereas Leighton and Watts sought to reinterpret the Greek legends of antiquity, Alma-Tadema was concerned to depict daily life in ancient Rome, with the greatest possible degree of accuracy and detail. He was the perfect type of nineteenth-century artistantiquarian. The art of Leighton and Watts is noble, inspirational, and intellectual; Alma-Tademaʼs is real, anecdotal, and down-to-earth. (56)
ここではアルマ=タデマの題材がローマ時代の日常の、厳格な歴史考証に基づく忠実な再現である点を、他の二人がギリシャの伝承を緩やかに再解釈した点に対比しただけでなく、
全体的な違いとして、二人の“noble, inspirational, intellectual”(高貴で心に響く知的)な画風とアルマ=タデマの“real, anecdotal, down-to-earth”(写実的で逸話的で卑近)といわれる画風とを対置している。
たしかにアルマ=タデマは浴場で戯れる若い女性の群像や、船着き場に帰着した子供を出迎えてキスする若い母親といった、現実的日常のたわいもない出来事を臨場感たっぷりに描くことが多い。
だがもう一方で、王侯貴族の行動やバッカス祭礼の現場を壮大に描くことも少なくなく、その点では伝説的な場面を描くレイトン卿と、実はそれほどかけ離れていない。
なぜなら、どちらも古代史の場面を再現しているように見えるのだが、それは想像の産物であり、古代的あるいは伝説的な脈絡にヴィクトリア朝の人物をあてはめて描いているのである。それゆえに、ジャンルとしてはどちらも同じ歴史画ということになる。
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