【前回記事を読む】エロティシズムとはまったく無縁のジョージ・フレデリック・ウォッツの「希望」――むしろ童子のようなあどけなさを連想
第二章 「四天王」比較論からバロックへ
『ファタ・モルガーナ』〜妖艶の回避
前項で、ウォッツの女性人体表現には二つのタイプがあると言った。一つのタイプは、『希望』のような、痩せた幼さの残る女性をモデルにした造形である。
その典型が1884〜5年の作とされる『恋と人生』Love and Life(図2)の女性像であり、その目立つ特徴はといえば、必ずしも未発達ではない身体に不似合いな幼い顔つきとアクセントのない四肢の長さとである。それは妖艶とは無縁である。
豊満だが妖艶ではない
もう一つのタイプは、しっかりした骨格に栄養の行き届いた肉付きをして四肢を開放的に謳歌する健康体であり、その多くはあどけなさがまだ残る年齢のように見える。
たとえば、1865年の作とされる『ファタ・モルガーナ』 Fata Morgana(図3)や1846〜48年作とされる『ファタ・モルガーナを追いかけるオーランド』Orlando Pursuing the Fata Morgana(図4)がある。
これらは「スザンナの水浴」に代表される旧約聖書に基づく伝統的な窃視絵のジャンルに属す画題であるにも拘わらず、画面の一角を占める好色漢のまなざしとは対照的に、女性は天真爛漫さを発散する。
女性像の姿勢、ポーズはいずれも何かから逃れようとしているように飛び上がったり、体を大きく反らせたり、よじれさせたりしている。
この「よじれ」の表現は、画法上画家の腕の見せ所であり、後述するバロックへの傾斜の萌芽は認めてよいが、ここでは一連の動作の流れで上肢は振り上げられ、胸を大きく開いた姿勢が特徴的である。
この開けっぴろげな所作に込められた図像学的メッセイジは「恥じらいをまだ知らないあどけなさ」であり、恥じらいという要素が決定的に寄与するはずの妖艶さにはほど遠い。
下肢の一部に布が絡んでおり、暗示的にエロティシズムを表出する道具立てが揃っていても、実際そのような暗示は無に等しい。
また、成人女性を描いた場合でも、豊満に描かれた肢体は、妖艶とは別の、母性の表象になる。その典型の一つが次章で詳しく見る『人生の幻想』Life’s Illusions(1849)(図5)だろう。
画面の左側から上部を占める大きな雲の渦のように見える渦巻きの中で、妊婦を思わせる腹部の膨張した女性像がそれである。
渦巻の造形については次章で触れる。ここでは肌を大きく露出した肉付きのよい女性像は、妖艶の印象にはつながらないことを確認しておきたい。