表と裏
○か、×か。おまえが行くか、俺が行くか。
何かを決めかねるとき、欧米人はよくコインを投げて決める。親指の爪ではじくように投げ上げ、手の甲と手の平で受けとめる。はたしてコインのどちらの面が上になっているか。表か裏か、それを言い当てたほうの指示に従うというわけだ。
ところがこの表と裏、英語では ‘head or tail’ つまり頭か尻尾か、を言い当てる。アメリカの場合、歴代大統領の肖像がある面が表だという。日本の貨幣は年銘があるほうを裏とするのが決まりなので、十円玉で言うと平等院が表となる。
表と裏、何となく表のほうがイメージが明るく、前向きで、正式な印象を持つ。裏口から入るより、表口から入るほうが、気持ちがいいだろう。裏通りより、表通りのほうが、道にも迷わない気がする。が、表からだろうが裏からだろうが、行き着くところは同じ。コインは表だろうが裏だろうが、一枚は一枚の価値しかない。同じものでも視点を変えれば、一方が表でもう一方が裏になる。
ある人に手の平を返したような態度を取られると、何やら気分が重くなる。が、よく考えるとその人物に変わりはない。本音と建て前、じつはけっこう人には裏も表もあるものなのかもしれない。それでも必ずやどこかで誰かに見られていると覚悟しなくては。
できるものなら、表も裏もない日常を送りたいものだ。
(二〇〇六・五)