アゴラの北西の角、アッタロスのストアの下で発見された投票箱。中に6個の投票具が残っていました。

 
 

訴訟内容により原告・被告の持ち時間は異なっていましたが、訴訟が長時間に及ぶ場合は、上の容器が空になったら下の容器と交換して続けました。

コラム『古代アテネ民主政』

古代の民主政は、ポリス(都市国家)と呼ばれる共同体の枠の中で、少数の同質性を持った市民だけが「自由・平等」を享受することができるという性格のものでした。そこでは、奴隷や在留外人(メトイコイ)はいうに及ばず、厳密にいえば婦女子も市民身分から除外されていました。

アテネでは前5世紀後半のペリクレスの時代に民主政が完成し、そのもとでは、18歳以上の成年男子市民全員が、最高決議機関である民会で平等の参政権を行使していました。

具体的には、彼らは民会で平等な発言権(イセーゴリア)と一票の投票権を認められ、将軍などを除き、ほとんどすべての役人も全市民から籤(くじ)で選ばれました。

さらに、彼らは10人同僚制と1年任期制のもとにあり、支配する者と支配される者の区別がつかない工夫がされていました。

実際、アテネの全盛期を築いたペリクレスもまた、制度の上では10人の同僚制の将軍団の一人に過ぎず、政策が失敗すれば市民の仲間から告発される危険のもとにありました。

アテネにおける市民団内部の政治的平等は、このようにして徹底されていました。

 

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

👉『ギリシアの遺跡を訪ねて』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】二階へ上がるとすぐに男女の喘ぎ声が聞こえてきた。「このフロアが性交室となっています。」目のやり場に困りながら、男の後について歩くと…

【注目記事】8年前、娘が自死した。私の再婚相手が原因だった。娘の心は壊れていって、最終的にマンションの踊り場から飛び降りた。