どういう意味だ? うめきながらもう一度聞く。コイチ? ワッツコイチ?
赤黒い視界の向こうにある声が沈黙した。数秒後だったのかもしれない。男が肩を揺さぶりながら聞いていた。ドゥユノウ、ホォエァユァフロム?
そのとき、深呼吸はできた。が、視界は戻らない。どこから来たのかって? 思い出そうとすると残酷な幻覚と叫び声の幻聴が降ってきた。
アイドンノウ。知らない、とそう答えた。肩を揺さぶっていた男の手が優しくなった。
アイドンノウ、自分が発したその言葉がひどく居心地悪い。
男の声に同情が滲む。ドゥユウノウ、ホヮイユァヒア? なぜ、俺はここにいるのか? 考えようとすると残忍な空間が頭をギリギリと締め付ける。
アイドンノウ。
視界が戻らないまま、再び沈む感覚に囚われた。
そして今。あの男はここにいるのか。
あたりを見回す。
いない。
喉が渇いた。めちゃくちゃ、喉が渇いた。水を飲めばもっと思い出すかもしれない。
あの森に水があるのか? あると、信じるしかない。山が見えるってことは、湧き水があるんじゃないか? なぜそう期待できるのか、その根拠を思い出そうとしても出てこない。
砂浜を横切ると強い日差しが高い木々に遮られ、体力が戻って来た。
ふと自分がいた場所を振り返ると海の底に沈んでいる。潮が満ち真っ白な砂浜は消えうせた。
裸足の足裏が、積み重なる小枝や倒木を踏みつけるたびに痛い。椰子の木立を過ぎると人間が分け入る隙などない。植物が足元にも密集している。手前の太枝を二本折り、道を切り開くことにした。エメラルドジャングルの内側はひんやりと感じる。が、水がありそうな場所はない。
椰子の木に戻るか? 実のなるあの高さまで、俺が、登れるのか?
キラキラ光る巨大な蝶が飛んで来た。再び恐怖に突き落とされる。
なぜだ。
ズボンを引きちぎり、足裏に巻いていると微かに、何かの音が聞こえてきた。
あれは水! 水が落ちる音? 遠くだ、でも、やったぁ!
歩を進める力がみなぎる。
滝が、険しい崖沿いに溢れ、流れていた。滝壺は群青で透明な水を湛えている。
水面が呼んでいる!
服のまま飛び込んだ。思いっきり水を飲む。深くて足が届かないのは滝の叩きつけているあたりだけで、急に水深は二メートルから一メートルほどになる。
生きてるぞぉ!
潜り、泳ぎ、また深く潜った。あまりの気持ち良さに服を脱いだ。髪の根元から足指の間まで海水をこすり落とし、歓喜の雄叫びを上げた。滝はレースのカーテンのように広がり太陽に輝く。落ちる水に頭や肩、背中、足の裏を当てる。奥は崖がくぼんでいる。
次回更新は10月27日(月)、20時の予定です。
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