【前回の記事を読む】転職後、初めての給料日「基本給、低くて申し訳ないね」と渡され…

二〇〇四年 孝一@転職先

「何かと入り用でしょ。ウチの子、小学生でね、一人も二人も一緒だからさ」

所長は椅子に座ったまま来客用椅子に近づいた。

「はい?」

「四週間、ウチの妻がお子さんの面倒見るからさ、海外出張、行ってくんないかなぁ」

「え、四週間? 海外? どこの国? どんな仕事ですか」

「行方不明になった奥さん探し。前金で百万、費用別。成功報酬で百万」

「え、誰の依頼ですか、ヤバい組織なんじゃないですか?」

「ヤバくないよ。ヤバいと言えば世界一ヤバい。アメリカ人の通信技術者。線を使わない通信、全般。でもIP系もできるんだ。陸軍の通信施設のメンテナンスをやってた人。アメリカ軍ね、日本には四十五年からだけど、東南アジア、中東、どこにでも設備、設置してたよ。

ちょっと前から衛星の時代だけど、今じゃ衛星を壊すためのミサイル開発競争が始まってるでしょ。地上の設備も必要なんだ」

「なんで!」

孝一は目を剥いた。

「そんな人が日本の興信所に依頼するんですかっ!」

「奥さんが日本人でさ。機密工作の途中、森ではぐれたから仕事を中断して探したらしい」

「そんなのっ、自分で続けりゃあいいじゃないですかっ。せめて母国が何とかするんじゃないですかっ、超大国ですよっ!」

「奥さんが米国籍を取ってれば違うのかもしんない。もちろん自分でも続けたそうだ。でも白人だからね、ゲリラに撃たれたんだってさ。彼、もう、歩けないんだ」

「もっと値段上げてくださいっ」

孝一は自分でも声が震えているのがわかった。

ニューヨーク、ロンドン、出発ロビーのパネルが英語に変わる。いつか行きたいと思ってた海外はこんな予定じゃなかった。海の向こうに旅したいと願っていた。冒険。

人の話によれば、金と時間、それか語学力と時間、どっちかあれば海の向こうにさえ行けるらしい。英語のテストの点は悪かったがリスニングはなぜかいつも満点だった。最近の学校ではリスニングも入試の一部らしい。時代は変わったもんだ。

でも。

孝一はパネルの時刻表示に目をやった。

今の俺の時間は息子のためにある。幼児は誰かが愛情で献身しなければ生きていけない。たった一人でやっていたナオミは。

陽気に笑っていた瞳と、鋭くなった眼差しと、最期に見た閉じられた瞼とが同じナオミの目だとはどうしても信じられない。

出発ロビーにいる人間は活き活き歩いている。幸せそうに見える家族連れから目をそらし、ふと思い出した。数年前、人混みの中、自分の息子か娘が歩いているんじゃないか、と真剣に見回したことを。俺に似た子が。

ナオミと再会するまでにナオミがどう過ごしてきたのかを想像した。自分を苦しめるだけの憶測に没頭する。どれだけ自分が苦しんでも、ナオミの辛さの一パーセントにもならないと改めて胸に刻む。

飛行機の窓に島々が見え始めた。青い大洋に散るエメラルド。

灰色の大海原が、山腹に叩きつける冷たい厳しい潮風、それがオフクロの故郷。

真っ昼間でも視界を失う地吹雪、それがオヤジの故郷。

南国の首都は聞いた通りの雑踏で、色彩が爆発するエネルギーに満ちていた。

通訳と船を調達しなければならない。