幸三の学校の校長は、60歳前後の初老の男性で穏やかな人柄だったが、若い教師のような生き生きとした風貌と活気は感じられず、授業への情熱もあまり伝わってこなかった。

学校は、朝7時50分から始まり、午後2時には終わった。その後は、学校の行事と宿題がなければ、村には通う塾もなかったため、自由に過ごす時間が多く、遊ぶための時間は十分にあった。

幸三の遊び相手は、いつも隆であった。隆は、勉強はもともと好きではなく、小学校での成績はあまり良くなかった。農家の次男で、身長は150センチほど。丸刈り頭で体格が良く、力もあり、体を動かすことが得意だった。

家の畑でたくさん採れた野菜を、父親が引くリヤカーの後ろから押して、市場まで運んだり、野菜の種まきや、水やりなど子供でもできる農作業を手伝っていた。

性格は明るく物おじせず、大声で屈託なく、子供らしく笑う無邪気さが、隆の一番の魅力だった。幸三の家とは、大声を出せば届くほどの近さで、放課後になると、いつも隆と家の近くの森や小川で遊んだ。

隆の両親は、家の畑や、村内で栽培された野菜を集める集荷市場で働いていた。春は、独活(うど)、ねぎ、ぜんまい、蕨。夏には、杏、紫蘇、葡萄、じゃがいも、とうもろこし、瓜。

秋には栗、八頭里芋、黒豆などを集荷し、朝9時から始まる市場の競りにかけて、仲買人に買われた農産物は岡山市内や町の八百屋に卸されていった。

隆は、木登りや、森の探検、蝉、蜻蛉捕りなど、遊びを見つける名人だった。学校へ行く道や、田圃の畦道を歩くときでも、何か、面白い遊ぶ物がないかと、目を輝かせながら遊びを探していた。