沈黙が流れる。

しばらくの静寂のあと、グラスを置くような音がした。

『あなた、メールを見られたのよ。私とあなたとのやり取りをぜんぶ』

ボイスレコーダー越しにも空気が重くなったのがわかった。良美が続ける。

『それだけじゃない。あの娘とのメールも見られてる。あなた、あの娘にも愛してるって言ってるらしいじゃない。奥さんから同情されたわよ。あんな男やめときなさいって。バッカみたい。ねえ。不倫してる男の奥さんに同情される私って何?』

河合は答えない。

『何か言いなさいよ!』

良美の声は震えていた。

河合は何も言わない。

『あなたはクズよ。偽善者のペテン師よ』

『男はみんなそうだよ』

河合が吐き捨てるように言った。

どうやら開き直ったらしい。

『本能なんだから仕方がないだろ。いろんな女に種を蒔く。ぼくは本能に忠実なだけだ』

『最低』

良美が冷たく言い放った。

『ぼくは自由でありたいんだ。何が悪い?』

河合は悪びれもせずに言った。

『悪いわよ』

『どこが?』

『仮にそれが男の本能だとしたら、世の中の男はみんな浮気をするはずじゃない。でもしない人もいる。本能を抑えることができる人もいるし、あなたみたいにできない人もいる。それだけよ』

ほお。この女、少しはマトモなことを言うじゃねえか、と博昭は思った。

『あなたは欲望を抑えることができないただの動物よ』

『どうして根源的な雄の本能を抑えなければならないんだ? あのねー』

河合の声に怒りが交じった。

『人間は孤独を恐れる生き物なんだ。ぼくの孤独の深さは誰にも理解できない。君にもだ。まあ理解できないのは仕方がない。人間は理解などしあえないんだから。だからそれはいい。でも理解しようとしなければいけない。なぜならそれが優しさだからだ。それなのに、ぼくのまわりの人間は誰もぼくを理解しようとし ない。妻とはもう何年もセックスレスだし、娘は年々気難しくなる。それに、君だ。君はぼくを一方的に非難し、理解しようとしない』

『何それ? 笑わせないで。今度は情に訴えるわけ? しかも、私のせいだって言うの?』

『良美』

『あまったれるのもいいかげんにしてよ』

河合がため息をついたのがわかった。

『良美。ちょっと考えてみてくれ。世間は浮気とか不倫をする人間をまるで極悪人みたいに言うけどね。ホントにそんなに悪いことなのか? ぼくは極悪人なのか? 恋したらいけないのか? 結婚したら恋をしてもダメなのか? だいたい、ぼくは浮気とか不倫って言葉が気に入らないんだよ。倫理に反するって? じゃあ聞くけど倫理って何だ?』

『また屁理屈?』

良美が言った。

『私はそんなことを言ってるんじゃないの』

『意味について擦り合わせてるだけだよ。ねえ、倫理って何?』

良美は答えない。

『あれは規則だよ。ルール。どっかの誰かが決めたことじゃないか。違う? ぼくの言ってることおかしいか?』

『何が言いたいの?』