作品の中盤になってようやく明らかになるのだが、ラスコーリニコフは、自ら執筆し、ある雑誌に掲載された犯罪に関する論文の中で、「ある種の人間にとっては犯罪が許容される」という思想を暗示していた。
ラスコーリニコフに対して密かに老婆殺害の嫌疑をかける予審判事のポルフィーリイとの対話の中で、この論文の話題を持ち出された主人公は、その思想の内容について、概ね次のように説明する。
この世の人間は、大多数の凡人と極めて少数の非凡人とに分類される。選ばれた非凡人は、「つねに法の枠をふみ越える」人間であり、「より良き未来のために現在を破壊することを要求」し、その思想のために流血を犯す必要がある場合には、「良心に照らして、流血をふみ越える許可を自分に与えることができる」
ラスコーリニコフは、自分自身が非凡人であることの可能性に賭けていた、ということである。
ラスコーリニコフにとって、自ら犯そうとする殺人の意義及び正当性の問題は、彼自身の内部において事前に決着済みであった。
それを「自分の欲と肉のためにする」のではなくて、「別の立派な、よき目的のためにする」のだということを、「まる一月もの間、全能の神様を証人に呼びだして」自分自身に対して説得した、と彼は独白の中で振り返っている。良心に照らしてやましい行為ではない、ということだ。
ところが、犯行が成就した直後から、ラスコーリニコフは、その行為の結果として絶望の奈落に突き落とされてしまう。犯行の翌日、ラスコーリニコフは、唐突に警察署から呼び出しを受け、戦々恐々として出頭する。
しかし、用件は下宿代の未納から生じた金銭取立て請求の件であった。ほっと胸をなでおろしたラスコーリニコフは、署長や副署長の前で、いささか情に訴えるような弁明をひとくさり述べた後で、突如として「無限の孤独と疎外の暗い感覚」に襲われる。
(1) 以下、特に断りがない限り日本語訳は江川卓訳『罪と罰(上)(中)(下)』(岩波文
庫 一九九九~二〇〇〇)による
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