「二十年も後になって、亡霊からのような手紙は受け取ったわ。書いてある事と言ったら、それもただの数行=薔薇が咲き始めます=と謎めかしたものだけ」

「……ええ……」

「あなたからは、未だ何の釈明も聞いてないわよ」

典子はどうにか声を出した。「ええ、そうだわ……」

確かに手紙の形も成さない通知のようなもの、と言われても仕方なかったが、あまりにも酷い仕打ちに思えた。それでも典子は冷静さを保とうとした。

茉莉が来てくれたのだ。ただそれだけで十分なのだ。

「ごめんなさい、あれが精一杯だったの。……どう書けばいいのか、混乱するばかりで……」千切れる声をつなぐように言った。

思いも寄らぬ事から、茉莉の日本での勤務先を知った。不躾と思いながらも、意を決して投函したのは、ふくらんだ蕾の萼(がく)が割れ始めようとする頃、開花まで二週間ほどだった。

迷いながら何度も書き直した。封筒に入りきらないほどの何枚もの手紙。あの頃のままの自分が行間にうずくまっているのを感じ、震えた。連絡を取るのは断念しなければならないとさえ思った。

それまでの全てを破り捨て、最後に数行だけの書信になった時、これでいいのだと、すっきりと割り切れた気持ちになった。もしそれで――茉莉とつながるなら、それは許されたという事――

「私信を勤め先に出してしまって……不躾だと思ったけれど……お住まいまではわからなかったものだから、きっと迷惑だったはずだわ」心から詫びる思いで続けた。

茉莉は椅子の背に体を凭(もた)せるようにして、何かを考える顔で典子の方を見ていた。肘掛けに載せた左手の指が小さくキーを打つように動いた。

不意に茉莉は言った。

「まさか、もう時効だからと、私を呼んだのじゃないでしょうね……」

息を呑んだ。冷たくはなかった。(冗談とも取れる言い方だったが、下から据えた目は笑っていなかった。)

「時効だなんて……まさか、そんな!」

数秒後になって、言葉がどうにか声帯をくぐり抜けた。体がゆらゆらと崩れそうで典子は思わずテーブルの縁を掴んだ。

「でもいいわよ、その話は」

このまま気が薄れていくような不安に捉われた典子を、茉莉の声が引き戻した。

「その事は後でじっくり伺うわよ。時間は十分ありそうだもの。……それに」

茉莉は目元をしかめ、典子を見やった。

「何もあなたを詰問する為に来た訳ではないわよ」

典子はおずおずと目を上げた。

「ちゃんと座ったら。いつまでもそんな格好してないで」

「え、ええ、そうだわ」典子は崩れた笑みで答えた。

「本当におかしいわね」と、椅子を引き直し、浅く腰を下ろした。

「あまりにも長いご無沙汰だったから」と口ごもり続けた。「記憶が曖昧というか、はっきり覚えていない事も多いの」

茉莉はしばらく典子を見ていた。

「いいわよ、何も特別な期待はしていないわよ」、茉莉は言い、体をわずかに典子の方に向けた。

「時は記憶をふるいに掛けるけれど、意味のある事は残すものよ」

「ええ、そうだわ」典子は小さく頷いた。

茉莉の物言いは変わらず棘々(とげとげ)しかったが、その通りなのだ。

本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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