キャンプ場に着くと、まず枯れ木を拾いに行った。焚火の火をおこし、飯盒 (はんごう)でご飯を炊く。飯盒は、戦中に中国に出兵していた叔父が使っていたものを、父が借りてきてくれた。
「初めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いても蓋取るな」
父が叔父から聞いてきたのだろう、帝国陸軍歩兵のご飯の炊き方も教えてくれた。じゃがいもと人参と玉ねぎしか入っていないカレーだが、初めて作った料理、美味しいと思って楽しかった。
その年、ひろしの入学した小学校の校長先生は、新しく赴任してきた人だった。
だから、毎年行われていた海の家の行事もそのH校長の意向で山のキャンプに変わったのかもしれない。
ひろしと同じ学年の他の学級で、担任の先生が長期病欠となり、急遽H校長が代わりに担任になったことを、近所に住むその学級の生徒が話してくれた。
「まず、『教科書は机の引き出しの中に、入れておきなさい』だって。それから、授業が面白いの、色々な話をしてくれたり、別の本を読んでくれたり。『それで、君はどう思う?』が口ぐせなんだ。毎日出てた宿題もなし」
それでもなんとなく、大丈夫かなと不安になり、「俺たち、見捨てられたかな?」と笑いながら話していた。
H校長は、翌年3月の終業式に「『立つ鳥、跡を濁さず』の言葉を君たちに贈ろう」と言って、別の小学校へ赴任していった。
ある日、同じ学級の山田が木の細い根のようなものを持ってきてひろしにくれた。
「ニッキだ、噛んでみろ」山田の家の裏山にある木の根だそうだ。
噛むと、シナモンのような味と香りがした。山田は家の裏山や近くにあるものを色々自慢げに学校に持って来ていた。夏になるとクワガタやカブトムシを教室に持ってきて仲間に配った。
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