06 心の世界においては被害者も悪となることを理解する

心の世界の善悪の基準は神の意識なのです。見返りや結果を求めない、つまり「自分の都合」を一切含まない最高純度の一点の曇りもない愛と、すべてを肯定する意識のエネルギーです。

ですから、心の世界においては萎縮や緊張のエネルギーも、いじめる側、または犯罪における加害者側が抱えている自分の外に向ける悪とは違った意味で、守りすぎてしまったり、人の目を気にして動けなかったりといった悪になってしまうのです。心の世界を深く理解できれば愛と肯定はほぼ同じ意味である事もわかるようになります。

心の世界、生まれ変わりの法則と秩序の範疇となる神界側の世界においては、萎縮や緊張も悪の始まりとなります。残念ながら、いじめを受ける側も犯罪被害者もどちらも悪となってしまうのです。

神界側の本当の意味での守りや手助けのエネルギーが届かない世界、つまり守りすぎの魔界に向かうことになります。神界側から見ると加害者は攻撃の意識という悪が70%、被害者は意識で守りすぎという悪が60%というようなことになるのです。

つまりは、いじめで自殺をしても、犯罪被害で亡くなっても、生まれ変わりの世界に戻れる可能性は低いのです。もし戻れても、その課題のエネルギーは自己責任として魂に刻まれて、来生はもっと厳しい状況になり、さらに守りすぎという悪を増やしてしまう可能性が高いのです。

そんなことになる人がひとりでも減るようになればいいのですが、そのためにはひどい目に遭いたくない、どう思われているか心配だなどといった萎縮や緊張を心の中から少しでも減らすことが、その人にとっての課題であることを知るしかありません。

萎縮や緊張を感じる瞬間を大事に分析して、少しでも心を磨き鍛えることこそが生きる意味と目的であり価値なのです。

優劣に対する萎縮や緊張や恐れの意識のエネルギー、さらにはするべき事をしない、できないという現実から目をそらすタイプ、目先の楽を選びたがる逃避型思考パターンのエネルギーが、つけ込む側のエネルギーと引き合うのです。

 

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