【前回の記事を読む】傷つくようなことが起きるときというのは、実は傷つきたくないという思いが裏目になっていますよというサイン
第1部 正しい心の磨き方 ――理論編――
第2章 傷つきたくないという心が生み出す不都合
05 傷つきたくないという思いが不都合を引き寄せる
昨今話題になっているあおり運転も、またいじめ問題も、その他の犯罪も被害者は何ひとつ悪くなくて加害者が100%悪いというのも、実は間違いです。もちろん、加害者の罪は大きいのですが、彼の心の中が100%の悪であるならば、そう長くは生きられなくなります。家族や友人を大事に思っていれば、それだけで何割かの愛という善はあるわけです。
それはそれとして、背負った悪のぶんだけは不安や恐れや苦しみを抱えてしまい、最終的には生まれ変わりの世界に戻れず、悪霊化するかもしれないという「責任」がついてまわります。運良く生まれ変わりの世界に戻れても、背負った悪は心―魂に刻まれてそれにふさわしいところに産まれるという責任をもつのです。
つまり加害者側は、たとえ人間の社会で裁かれなくても心の世界においては裁かれているのです。実は思考の劣化や判断ミスなど少しずつ足を引っ張られてはいるのです。
傷つける意識や攻撃的な意識を減らさない限り、そんな生き方しかできなくなる。それどころか、同じ発想の悪霊の憑依を受け続ける可能性しかないわけで、そのぶん状況はエスカレートしていきます。
怒りに囚われてしまう人生になりますが、それでも何かひとつでも好きなことや人がいてくれれば、表面的であっても仲間がいれば、その人の心は100%悪ではありません。
ただ「加害者と被害者が、〝実は〟心の奥底にもっている同じ思いのエネルギーが引き合うという偶然性に潜んでいる必然性」によって、出会い、関わってしまうのです。
被害者になりやすい人はある程度以上に傷つきたくないという固定観念をもっていて、それが裏目に回ってしまいます。本来は傷つきたくないという固定観念を少しずつ減らして、傷つきにくい心にしていくことが課題なのです。それができずに傷つきたくないという思いのエネルギーが無意識のなかでも大きくなったぶんだけ、不都合が起こるのです。
これは傷つきたくないという思いのエネルギーを減らせず増やした責任であり、傷つきたくないという思いのエネルギーも悪の始まりとなるのです。あるレベルまで心を磨けるようになるほど見えてきますが、苦手な人や嫌いな人も引きあっていて、実は心の奥に本人と同じ課題を多めに抱えているのです。
傷つきたくないという思いのエネルギーに同じ発想で裏目に回って苦しむ悪霊の憑依を受けてしまい、同じ苦しみを共有してしまいます。