この記述に関してJ・P・サルトルは〈鏡のテーマ〉に結びつけたフローベールの女性性の問題を取り上げ、その大著『家の馬鹿息子』のかなりのページを割いて、フローベールの性的世界を詳述している(1)。すなわち、その非現実的世界、その受動的生き方の核ともいうべき両性具有への彼の夢の源泉を分析している。
我々はまず自伝的と言われる初期作品(『狂人の手記』『11月』『初稿感情教育』)に青年フローベールが表明した両性体への夢を確認し、『サラムボー』の二元対立構造を超える新たな統一原理として、この〈両性具有〉という視点から、サラムボーとマトの恋、そのエロスの世界をみていこうと思う。
『11月』以前にも『思い出・覚書・瞑想』に見るように筋骨逞しい支配力ある男性と同時に美しい女性にもなってみたいという願望が、20歳前後のフローベールにあったことは確かである。
「筋骨逞しい男になってみたい日々も又女性になってみたい日々もある。前者の場合は筋肉が力動し、後者の場合は溜息交じりに我が身を抱きしめる。」
さらに10年後、現実の恋人ルイズ・コレに対して、〈肉体以外は自分と同一化して欲しい〉と両性体への希求を表明する。
「君は並みの女ではありません。……君を愛するのは、君が他の女性より女である事が少ないと思えたからです。……私が望むのは身体は二つに分かれたままでも唯一の精神で合一する事です。女としての君からは肉体しか欲しくありません。それ以外のものは全て私のもの、さらにいえば私自身であって欲しいのです。同じものから成り同一化して欲しいのです。」(1853年3月27日)
「観念において生きている時は、まさにそれによって愛し合うものです。私はいつも君を崇高な両性体にしようと努めてきました(失敗したようですが)。腰の高さまでは男性であって欲しいのです。(下へ降りていくと)君は私を困惑させ錯乱させ君自身を女性としての要素で傷つけているのです……」(1854年4月12-13日)
(1) C. Du Bos, Approximations, t.I, Plon, 1922–1939.
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