千津は、中学生になった。ずっと小学校の六年間は長い、と感じていた。

周りは小学校からの顔馴染みで、あこがれた学び舎は戦前の兵舎を転用した古い木造で、雨が降ると教室は明かりをつけても薄暗く、壁や廊下には穴があいていた。

それでも、リボンを胸前に結んだ標準服を着、それまでの下駄に代わって、白い運動靴を履いて登校するのは少し大人になったと感じられ、スキップしたい気分になった。

担任は佐藤源四郎という名前の年配の男性で、数学を担当していた。

 

学校では軍隊帰りの、見るからに強面の男性教員が、生意気盛りの生徒たちに睨みを利かせ、問題を起こした生徒には容赦ない指導をしていた。 

だが佐藤先生は温厚な性格で、怒った時は怖いが、生徒たちによく目を配っていた。昼休みには、クラス全員で流行りのフラフープや縄跳びをして遊んだ。

先生は音楽の趣味があり、朝の学級の時間には自らオルガンを弾いて、「ともしび」や「カチューシャ」などのロシア民謡、「夏の思い出」「あざみの歌」といったラジオ歌謡を教え、みんなに歌わせた。その叙情的な歌詞は、生徒たちに、歌の情景を想像する楽しさを味わわせた。

この頃、千津の内面は、自分ではコントロールすることができない意識に支配されるようになっていた。

朝、ヒバリがさえずる畑道を登校する際、列車の汽笛が聞こえてくると、彼女は伸びてきた麦穂の陰に急いで隠れ、列車が通りすぎていくのを待った。

汽車に乗っている人たちから、自分が見られていると思い、恥ずかしかったのである。汽車には高校生となっている、塾で一緒だったあの男子たちも乗っているはずだから。

通学中のひとりの女の子を、列車の乗客たちが注目し、見ているはずなどないだろう。学校に遅刻してしまうかも知れないのに、麦畑で隠れているなんて誰にも言えない。皆がこの行動を知ったら、「変な子」と思うに違いなかった。

自分でも、「何やっているのだ」と思いつつ、千津は自身の行動をどうすることもできないのであった。

  

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