九、

「伊弉諾の尊が、国生み、神生みされた後の、

天上界はご覧のとおり、天上界と地上界は、よく似ています。

少々、堅(かた)ぐるしい、かもしれませんが、大切なお話をいたします。

まあー、聞くだけでも、聞いてください」我の神は、改まった口調で、こう切りだされて、貴の神を指南されたのである。

「天上界は神の国、すなわち、真実(しんじつ)(ほんとう)の国です。そして、真実のもとには、真実の慈悲があります。地上界は神の姿の国、すなわち、真実(しんじつ)の姿(すがた)(事物)の国です。そして、事物のもとには、事物の慈悲があります」

このように、いきなり切りだされた我の神の言葉に、貴の神は、ついてゆけない。

─そこで、聞くだけにした。お構いなしに、我の神はつづけられた。

「真実の姿のことを、真実の相(そう)(イメージ)、実相(じっそう)(ほんとうのすがた)といいます。ですから、地上界は、真実の姿の国、実相の国ともいえます。

ところで、天上界の真実(神)と、地上界の実相(事物)とは、真実の絆(きずな)(紐づけ)で、結ばれています。

たとえていえば、親子のような絆(慈愛)で結ばれているのです。それゆえ、天上界の親(真実)と、地上界の子(実相)は、よく似ているのです」

真実と実相とは、親子の関係というたとえ話を聞いて、

貴の神は、どうやら自分をとり戻すことができたようであった。「しばらくは、疑問はつきないと思います。

とりあえずは、疑問は棚上げにして、

まずは、天上界が真実の国であることを胆(きも)に銘じてください。

しかし、『実相・慈悲』という言葉は、頭の片隅に、とどめておいてください」

さすがに、伊弉諾の尊がお選びになられた、神であるだけに、その言葉と姿勢は、終始(しゅうし)(始めから終りまで)して、謹厳実直((きんげんじっちょく)まじめであること)であった。

冗談は、まったくない。

貴の神は、地上界であれば、コーヒー・ショップで、一息入れたいところである。

十、

我の神は、今度は、すばやく、案内役に様変わりされた。

まずは、注意からはじまった。

「これからは、多くの神々があらわれます。

しかし、その名を覚えようとしないで、軽く、感じとるぐらいにしてください。そうでないと、頭が疲れて、先に進めなくなりますから……。それでは、伊弉諾の尊が、国生み、神生みされる前の、真実の国をめぐることにしましょう」

貴の神は、これまでの指南と、これからの案内の声を聞きながら、我の神のいわれるままを、素直に受けいれる、あるがままの心境に、しだいに、整ってきたようであった。

 

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