【前回の記事を読む】午前4時24分、大音声を残して消えた老人。その夜、その老人が家を訪ねてきたので挨拶をして下げた頭を上げると…
承の章 古事記(天上界)
事物になれる神
六、
「驚かれたでしょう。しばらく、わたくしから、お話をしましょう」と、あれの命の声がする。
私は、あまりの驚きに、絶句(言葉が詰まること)したままである。
「わたくしたち二人は、いや二柱は、伊弉諾(いざなぎ)の尊(みこと)によって、神生みされた天(あま)つ神(かみ)です。ここは、高天原(たかまがはら)の入口、天(あめ)の八衢(やちまた)です。
地上の神である猿田彦(さるたひこ)が、天孫降臨(瓊瓊杵尊が天上から地上へ降ること)の、瓊瓊杵尊(天照大御神の孫)をお迎えした場所といわれています。地上の神は、ここまでで、これより先は行けません。
ところで、わたくしがお預かりしているこの矛は、伊弉諾の尊が、国生みにお使いになられた、天(あめ)の沼矛(ぬぼこ)と申す矛(長い柄のさきに、両刃の剣をつけた武器)です」
合点(がてん)がゆかない顔を、くずさない私をみて、
「申し遅れました。わたくしは、伊弉諾の尊から高天原(天上界のこと)への、同行を申しわたされた者です。その証(あかし)として、伊弉諾の尊より天の沼矛をお預かりしてまいりました」と、
あれの命は、まず、ご自分の身の上を明かされた。だが、私は、まだ、不安と疑念で全身が固まっている。
会話の余裕は、まったくない。
あれの命は、ご自分の身の上の話をつづけられた。
「わたくしは、天武天皇(第四十代─7世紀後半)のご命令で、古事記(日本の古き時代をしるした書)の編纂(書をつくること)に、筆述(文章をつくること)の太安万侶(おおのやすまろ)とともに、口述(記憶を述べること)の稗田阿礼(ひえだのあれ)として加わりました。そうです。わたくしは、稗田阿礼になれる神、あれの命なのです」と、