当時、日本の片隅においても、このようにきちんと石塔まで建てて、深く感謝の気持ちを表現していた人物がいたことをケンは誇りに思い、嬉しくなった。それに比べて、戦後のマッカーサー元帥への感謝の念は一体どこにいったのだろうか。

そういえばこの間、ある経営者が「日本国憲法は占領軍の押しつけによってつくられたもので、日本人自らがつくったものではない。日本人の心ではない」と語っていた。「おめさんもさ、小作から頑張って這い上がってきた人でねかの。そんなこと言える?」と聞くと押し黙ってしまった。

確かに世論においても、マッカーサー元帥に感謝の念を述べたり、功績をたたえる記事など見たことはない。まるで自分の力で豊かさをつくったような顔をしている。人間は、少し豊かになるとつい恩を忘れ自分の力を誇示する。戦後の日本人の心の浅さをしみじみと感じたのであった。

自浄能力

ケンはブルブルッ!と身震いをした。そして、「ならば!」とケン特有の台詞(せりふ)をつぶやきながら考えた。ほんとうに父ちゃん達ががんばって、もしも日本が勝ったならば日本はマッカーサー元帥のように「農地解放」を行っただろうか。俺の家のように農家の大半を占めていた小作人を自作農に変えただろうか?

力の大きい地主の了解なしに「農地解放」など、所詮、実施できるはずがない。相変わらず日本流のうやむやな形で八方まるく収め、「はい、お仕舞い!」となったに違いないと、ケンは頭の中でじゃみた(だだをこねた)。

どうも日本という国は自浄能力の無い国らしい。もしもマッカーサー元帥が日本に来なかったならば、そしてもしも日本が勝っていたならば、小作と地主の関係は相も変わらず続き、今日のような自由で豊かな日本は生まれていなかっただろう。

とすれば、俺の父ちゃんはなんのために戦い、なんのために死んだんだ!

 

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