【前回の記事を読む】「あなたの子供が生みたかった」妊娠を気遣って、お昼を買いに行ってくれた矢先、巻き込み自殺の暴走車が歩道へ突っ込み…
あなたの子供が生みたかった
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事故の後、マスコミにインタビューを求められたが、美春はそれに応えられる状態ではなかった。兄が応対してくれ、無事にマスコミから逃れることはできたが、美春は一週間寝たきりで過ごした。
運転していた男は達也たちをはねた後も暴走し、電柱に正面衝突して即死した。自宅から遺書も見つかった。警察の調べで、他人を巻き込んでの自殺行為と判明した。身内は一人もおらず、損害賠償請求も慰謝料請求もできなかった。
しかし、それ以上に応えたのは、事故のショックで美春のお腹の赤ちゃんが流産したことだった。事故のせいで、美春は一度に夫と子供の二人を失ってしまった。美春には自分だけが生きている理由を見つけることができなかった。
「達也を返して。達也の子供を返して」美春はときどき錯乱状態で叫んだ。
手首を切ったところを兄に見つけられ、心療内科へ連れていかれた。うつ病の診断書が書かれ、抗うつ剤と睡眠導入剤を処方された。
会社は休職となり、美春は毎日をベッドの中で過ごした。何をする気力もなかった。死にたくても、死ぬための準備をすること自体が億劫だった。
ベッドの中だけが美春にとっての安全地帯に感じられた。このままベッドで眠ったまま死ねたら、どんなにいいだろうと思った。それでも気づかぬうちに涙があふれて、枕を濡らした。
達也に会いたい。達也の赤ちゃんに会いたい。考えるのはそのふたつだけだった。独身だった兄が心配して同居してくれた。兄が準備してくれなければ食事すら喉を通らなかっただろう。兄は無理やり美春に料理を食べさせた。達也や美春の両親も、心配して定期的に見舞いに来てくれた。
一年半後、美春は会社に復帰した。兄も安心して実家に戻った。心が落ち込むことはまだあったが、日常生活に支障をきたすことはなくなった。会社の業務復帰マニュアルが説明され、様子を見ながら仕事の範囲を増やしていくことに決まった。