続いてその奥にはガラスで仕切られた研究所があり、新製品の酒のブレンドや、品質検査を主に行っていた。数名の事務員と白衣を着た研究員、それに営業担当者達が主に常駐しているところで、部外者も自由に出入りが出来る大らかな時代の造り酒屋だった。
その少年は、母親が奥の瓶詰め工場でパート従業員をしている事もあり、自由に出入りしていた。時には友達数人で中に入り、遊び場となった。
その酒造の総面積は広く、使われなくなった設備などの保管倉庫や、建て替えで出た廃材の山もあり、空き地も至るところにあったので、子供達には格好のワンダーランドに成った。
会社全体の大きさは、校庭を含む小学校がすっぽり入る程の広さがあり、手付かずの地域もあった。その少年と仙一とは、敷地内でもよく顔を合わせるので、以前からちょっとした顔馴染みでもあった。
今年は12月28日が日曜日だから、仙一が正月休みで実家へ帰れるのは週が明けた火曜日の30日になるか。実際は、仕込みの都合でみんなが正月に家へ帰れる訳ではないが、今年も昨年に続き、年明けの4日まで正月休みは貰えるだろうか。
まだ、大事な作業をあまりさせてもらっていない仙一に、年末からの正月休暇が何日貰えるか否かは、親方の判断で決まる。
本当は、仙一も12月24日のクリスマスイブにプレゼントを持って糠へ帰り、尚や、一恵の喜ぶ嬉しそうな顔を見てみたいのだが、正月の前にそれは叶わない。
酒蔵から歩いても3、4分程の距離に丹波橋公設市場があり、賄い料理の主な食材はそこで調達していた。営業用の、がっしりした黒塗りの自転車の前と後ろの大きなカゴに、どっさりと買い出しをして、時にはそれが、2度、3度往復の日もあった。
公設市場内には、八百屋、魚屋、肉屋、鶏肉店、天ぷら屋、本屋、それに化粧品屋や小間物屋まであり、その辺りのそれぞれが、個人商店ではあったが、今時のスーパー感があった。
その当時、夕方近くにでもなると、その辺りは一番の賑わいを見せていた。それに、公設市場の東側の並びには眼科と内科、そして歯科までが軒を並べ、戦後7年近く経って、やっと人々の生活に、人間らしい暮らしが戻ってきた時だった。
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