【前回記事を読む】両親の葬儀では涙が一滴も出なかった。今までにいっぱい泣いたから――20年続いた母の介護。もちろん悲しい気持ちはあったが…

第一章 父と私、そして別れ

父との別れ

2016年の6月初旬に話を戻します。

突然ケアマネージャーから、「お父さんが脳の病気で意識が混濁しているから、救急搬送します」との電話連絡が入りました。

まだ受け入れの病院も決まらないままにタクシーに乗ったまま、いつでも移動できるように待機していたときには、まだなんの感情も湧きませんでした。

まさかそれが最期になるとは思わず、けれども、どうしようもなく胸の内でざわつく思いを必死に打ち消して、考えないようにしていました。

受け入れの病院が決まり、待ち構えていた私の前に、入ってきた救急車からストレッチャーで降ろされた父の顔は蒼白でした。

私はそこで初めて事態の深刻さを認識したのです。

左半身はすでに麻痺した状態でした。

まだ動く右手で父は、ものすごい力で私の手を握り締めました。

あれは私に対してではなくて、生きることにしがみついたのだと思います。

医師からは、「お父さんは脳梗塞です。すでに左半身に麻痺が回っています」と告げられました。

そういわれて見せられた父の頭のCT画像は、右半分が真っ白になっていました。

「あとはご本人の生命力ですね」と、医師に告げられましたが、私はこのときもまだ、「これで最期だ」なんて考えませんでした。

「ずっとずっと信心深かった父が、こんなに急にあっけなく召されるはずはない」

「父はカナヅチなので、きっと三途の川を渡り切れずに帰ってくる、そう信じよう」

そう自分にいい聞かせました。

毎日、面会に通い、冷たくなった父の手足をさすり続けました。