仙台市

【2012 年 2 月記述より】

地震当日、商店それぞれは対応に隔たりがあった。

仙台市中心部商店街は大規模災害に備えて買い物客の誘導など訓練を重ねシミュレーションしてきたが、活かされなかった。お客様を大声で店外に誘導した。体験したことのない揺れにパニック状態である。棚から商品が崩れ落ち店内の通路を塞ぎ身動きできなかった。店内から避難したアーケード街の通路には人があふれ身動きすらできない状態である。

ほとんどが買い回り商品を扱っているアーケード街は急遽閉店とし、とりあえず店頭部分の片付け作業を程々に、店員に帰宅を促した。

中には営業を続けているお店があり、非常食や非常物資を求める買い物客が、パニック状態のまま一番町やアーケード街を埋め尽くしたと聞く。郊外の商業施設は、散乱した商品をそのままに、店頭で非常食や非常物資を買い求める客の対応に追われていた。

その後3~6か月経っても復旧工事の進んでいない店舗が見られた。2011年中ごろから震災特需と一時休業や廃業といった姿が顕著に見て取れた。全国各地からボランティアや復旧作業員などが駆け付けた。宿泊ホテルは常に満室状態、仕事を終えた人々は仙台の街に繰り出した。国分町は行き交う人々であふれていた。帰路で新幹線に乗るほとんどの乗客は両手に土産を抱えていた。

被災地の景気から見る専門店の状況として、仙台中心部商業施設及び駅の商業施設では、土産を使う店は震災特需で2011年の夏ごろは前年度対比110%~150%の売り上げを示していた(お客様である経営者からの直情報)。

一方で茨城県・埼玉県・新潟県・山形県・青森県など被災地隣県は前年度対比100%割れで中には70%の景気状況であったと聞く(お客様である経営者からの直情報)。翌年、明けにおいてはだいぶ落ち着いたものの、仙台はいまだに特需が続いている店もある。一方では商業施設の改装や新築はあまり見られず、先の見えないまま一時休業や廃業に至る商業施設も多く見受けられた。

復興はまだまだ先。特需に縁遠い商品を扱う商業施設の多くは、何も変わらない環境に苛立ちと焦りを感じているようだ。先の見えない状況はまだ続きそうだ。

 

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