翌日、晃君が話してくれた。あの日の出来事を母親に話したらイエス様が助けてくれたのだという。
イエス様はいつも一緒にいてくださり危険や苦悩から人々を助けてくれるのだという。あの山で聞いた声はイエス様の声だったのだ。
晃君にお母さんはキリスト教を信じているのと聞いたら、そうだよと答えた。晃君は自分も信者だと言った。
今度行った時、あのキリストの像について聞いてみよう。
吉田さんはニコニコして私の疑問に答えてくれた。
「人間の犯した罪をキリストは自分の死をもって、十字架に掛かることで人間の受けるべき刑罰を受け、人間の贖罪が成立つ」
と言ったが、何のことか分らなかった。
吉田さんは「罪深い人間の罪を許してもらうため十字架に掛かり、それによって人は罪から解放された」と言い直したが、人間が罪深いという意味がどうしても分らなかった。吉田さんは「分らなければそのままを信じるように、そのままを受け入れるように」と言った。
さらに、キリストは優しく、誰にでも愛を注いでくれる。子供は大好きだと付け加えた。あのむごたらしいキリストの像の意味が少し分った。キリストの像が身近な物になったように感じた。
私が晃君と遊ぶと吉田さんは喜んでくれる。自分は少しキリストの手助けをしたのかな。
本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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