焼いている最中に従妹の体は何回もピクンピクンと動きました。私は、
「叔父さん、生きとる!!」と言いました。
「イヤ、死んどる」
叔父は言いました。だから焼き続けたのですが、もしまだ生きていたとすれば、私は彼女を焼き殺したのです。私は殺人者です。
今でも夢でうなされます。信ちゃんがぼーっと出て来て、目を見開いて私を見つめる夢です。
「信ちゃん、ゴメン、ゴメン」
私は叫びながら目が覚めます。びっしょり汗をかいて、もう眠れません。
講演でこの話をするたびに多くの方から、
「焼いてあげただけでも良かったのですよ。お骨にしてもらえなかった人もたくさんいたのだから。それに、体が動くのは生体反応といって、死んでいても動くことがあるのですよ」
と慰めていただきます。私にもそれはわかっていますが、理屈ではないのです。
ピクッと動いた。叔父も私も泣くこともなく一生懸命に信子ちゃんを焼いた。焼き殺した。まるで魚でも焼くように―。
その事実です。それを思い出して凄く苦しみます。これは死ぬまで続くと思います。あのとき、私は人間じゃなかった。鬼だった。でも、これは私だけじゃないと思います。
「夕焼けよりも人焼く炎赤々と、ヒロシマの街のあちらこちらに」
という短歌を詠んだ人があります。多くの人達が体験したと思います。そして、苦しみ続けていると思います。原爆はケロイドや病気だけじゃなく、人の心までこんなに何十余年も傷つけているのです。二度とあってはなりません。
話は変わります。私は火傷した両親を連れて、近くの赤十字病院に通いました。