聞き書きとは、語り手の言葉を、語り手の話し言葉のまま、語り手のひとり語りの文体にして、語り手のこころを読み手に伝えたいとする活動であり、筆者の内省行動にふさわしい表現手法だと考えた。
さらに、聞き書き活動には、語り手という他人の存在が必要だけれども、語り手を自分に置き換えて、自分の質問に、語りかけるように書き起こしてみれば、誰でも簡単にひとりで始められ、提案しやすい方法だと思った。
この手記を通して、統合失調症のわからなさに興味をお持ちの読者に、統合失調症とされた筆者が、どのようなことを考え生活していたのか、筆者の人物像や人生譚を一つの例として提示することで、より具体的にその体験をお伝えできると思う。
そして、わからないことを追求していくことの魅力を、読者にお伝えできれば幸いである。
二〇二四年三月八日
大瀧夏箕
口絵にかえて「こころの船出」
ふと気がついたら、ぼくはひとりだった。
同宿者はたくさんいるのに、いつの間にかぼくはひとりになっていた。なぜ皆は、この家族という同宿者の中で堂々と胸を張って生きてゆけるのだろう。まるで迷いこんだ野良犬のように、ぼくは彼らの足もとにうずくまっていた。
じっと静かに潜んでいた。ぼくに気づく者はいない。ぼくの小さな部屋には物がひしめいて、なかなか扉が開かない。それは意識のバリケードか、無意識の防波堤なのかわからないが、取り除く者はいない。
「ぼくはこれからどこへゆこう」
【イチオシ記事】「もしもし、ある夫婦を別れさせて欲しいの」寝取っても寝取っても、奪えないのなら、と電話をかけた先は…
【注目記事】トイレから泣き声が聞こえて…ドアを開けたら、親友が裸で泣いていた。あの三人はもういなかった。服は遠くに投げ捨ててあった