一室の前でピタと足を止めた。この部屋で“書き手”が執筆をしている。中からは話し声が聞こえてくる。
不比等は勢いよく戸を開けた。中では五人の書き手が和やかに作業をしていた。しかし、不機嫌な顔をした不比等に気付くと、皆の手と口が一斉に止まった。
若い書き手たちの視線が注がれる。不比等は部屋に入り、威圧的に彼らを見下ろした。
「この武烈天皇の話を聞きたい」
そう言って、書を机に投げ出した。
「これは事実か? どこから来た話だ?」
五人の男たちは視線を宙に泳がせた。責任を逃れるかのように、誰かが答えるのを待った。
不比等はそれを許さなかった。
「早く答えろ!」
彼の甲高い声は、皆の耳をつんざいた。一人の男が座ったままで深く頭を下げた。一番年上のようだ。
「お前が答えるのか?」
その男に声をかけた。
「は、はい。わ、我は文手(ふみて)と申します。
そ、その話は豊麻呂(とよまろ)からでございます」
「誰だ、それは」
「あのぉ、詳しくは知りませんが、語り部の一族の者のようです。
それで、そのぉ、彼は特に武烈天皇の話に詳しく、その知識には驚きました。彼の話す内容も、そのぉ、他の物とそれ程違う部分はありませんでしたので、それを書いても、問題はないかと、そのぉ、思いまして……。それで、武烈天皇までの話は、彼の口伝を、そのぉ、書き起こしまして、はい……」
文手は異常な量の汗をかいていた。
不比等の瞼がピクピクと細かく痙攣した。
「ふむ。ではこの武烈の話は、その豊麻呂が引き継いだ口伝なのだな」
後ろで怯えていた男たちも、視線を忙しく動かしながら「はい」と、消え入るような返事をした。