今でこそ、「話した事」を記録に残す方法はあるが、例えば、日本の3世紀の歴史の一部は、三国志の魏志倭人伝で知る事が出来る。
自国の歴史を他国の書物のみで知る事が出来るという、我々にとっては些か当惑する事態ではないか。一方、中国との交流が途絶えた4世紀は、空白の、又は謎の4世紀とも言われる。文字があり、記録に残す事の大きな違いは一目瞭然だろう。
我々が「勉強」をする時、教科書を読んだり、ノートを書いたりして覚える訳だが、もし、文字が無く、教科書やメモを取る事が出来ず、「耳で聞く」という方法しか無かったとすれば、「勉強」の成果に大きな違いが出て来るのは明白だろう。
今でも口伝や口述には正確性の観点からも限界がある事がお分かりだろう。正確な事は不明だが、文字が日本に伝わったのは、3世紀~5世紀と言われ、紙が日本に伝わったのは7世紀という。
逆に言えば、文字が日本に伝わったとされる、3世紀~5世紀の前までは、日本には「文字」が無かったという事になる。文字が日本に伝わったのは、或いは、伝える事が出来たのは、当時の技術で、文字の発明された中国から行き来出来る距離にあったからに他ならない。
太陽からの地球の位置が、近すぎず、遠すぎず、絶妙の距離に偶然、収まった為、「生物」が生まれ、生きて行く事が出来た事と同じような事だ。
もし仮に、日本が、文字の発明された国から行き来出来ない程の距離にあったとすれば、我々は、「文字のない国」の運命を辿る事になる。
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