「高粱(こうりゃん)は中国の名でな。お寺の和尚が教えてくれたけど、大昔から中国にあったそうだ。何千年も前の中国にはいろんな王朝があって、夏とか楚とか周とか、いろんな王朝が長い時代に興亡を繰り返して……国ができたり、なくなったりしてたらしい。いろいろな戦いがあったんだろうな」
そう言って、遠い国の歴史や村の昔話を小さなひろしでもわかるように話してくれた。
「このあたりだって、昔は村同士の諍(いさか)いがあったと聞いている。まあだいたい、水争いだとお寺の住職が言っていたよ。水不足の時は大川の水を自分たちの田んぼに引き込みたいからな。それが毎年のように争うようになったので、村の和尚同士が話し合ってため池を造って、大川の流れを一旦止めて池に溜め、そこから支流に分けるようにして、争いをなくしたそうだ」
「徳のある和尚同士だったんだな」と言ったお爺ちゃんは、孫に何か教えることが嬉しくて、さらに話を続ける。
「国っちゅうもんは、徳のある人が天命を受けて治めるものだと、遠い昔の偉い人が、孔子という人が話されたそうだ」
ここまでくると、幼いひろしには何を言っているのかわからない。ポカンとしているひろしにかまわず、お爺ちゃんは茶碗酒を飲みながら、
「天は徳のない、自分勝手な争いをする民をお見捨てになり、勝手に自分たちで話し合え!と思われたんだろう。民が自分たちで争いのない世の中をつくれば良いと、話し合いをするように思われたんだろうな……これが民主主義だと、わしは思う」
「天、徳を予(われ)に生(しょう)ぜり。桓魋(かんたい)、それ予(われ)を如何(いかん)せん」
宗の桓魋が孔子を殺そうとした時に孔子が言った言葉だそうだ。
天が私に徳を授けておられる。お前ごときが私をどうすることができるだろうか。
どういう意味なのかひろしにはさっぱりわからず、お爺ちゃんの酒臭い息だけが記憶に残った。