「三河物語」にある重大目撃情報
織田軍の進軍経路について、『三河物語』には重大な目撃情報があるので把握しておきたい。それは「信長ハ思ひ之儘に懸付給ふ、駿河衆是ヲ見て」の部分である。丸根砦を攻略した松平勢は大高城の留守番を命ぜられ、それまで大高城を守っていた鵜殿長照と交替で入城するのであるが、どうやらその間に織田軍が丸根砦北麓あたりに急接近したらしいのである。
ここでいう駿河衆というのは、松平勢の丸根砦攻めに加わって攻略した丸根砦にそのまま残っていた雑兵たちと考えるべきで、今川本陣の将兵ではないことに注意する必要がある。石河六左衛門という三河衆をすぐに呼び出して会話ができる場所にいたからである。
この駿河衆が「カチ者ハ早五人三人ヅ丶山えアガルヲ見て、我先にトノク」とあるから、織田軍はいかにも丸根砦を攻めるのか!?という勢いで山際に取り付いたというのであろう。それで駿河衆は我先に逃げたということらしい。
この駿河衆が居た場所と今川本陣とは全然別の場所で距離があったからなのか、織田軍が出撃してきていることを今川本陣には報告しなかったらしい。「義元ハ、其ヲバシリ給ズシテ、ベントウヲツカハせ給ひて」としているうちに「車軸ノの雨ガ降リ懸ル」という不運にも見舞われてしまったのである。
織田軍が丸根砦のすぐ麓まで迫っていたというと不思議な感じがするのだが、『信長公記』にもそのように読み取れる記述がある。「中島より又御人数被出候、今度者無理にすかり付、止申され候へとも、爰にての御諚には……」のところである。
「あの武者、宵に兵粮つかひて夜もすから来り、大高へ兵粮入、鷲津・丸根にて手を砕、辛労してつかれたる武者也……」という信長の御諚は、まさに丸根砦を占領している駿河衆を目の前にしていたということなのである。
👉『桶狭間の戦いは迂回奇襲説、長篠の戦いは鉄炮三段撃』連載記事一覧はこちら