ウェイトレスの仕事は嫌いではなかった。ほかのスタッフとの関係は比較的うまくいっていたし、何より周囲から頼りにされているという実感がして喜びを感じていた。
Kはゼミには参加しないでもいいという教授の承認を得られたようで、ゼミに顔を出すことはなくなった。Kは就職活動と卒論に集中している。本命の教員採用試験の準備もしているが、保険をかけて、いくつか会社の内定をもらえるように、会社まわりもしていると聞いた。
私は単位不足のこともあって、学校に通い続けた。並行して就職活動と卒論、そしてアルバイトに精を出した。プライベートの生活は皆無だった。朝起きて朝食もそこそこに大学の図書館へ直行し、卒業論文を書く。
落とした単位を取るために、一日に一つか二つの講義に出る。四年次の取り零し回収は、ボディーブローのように効いてくる。
お昼は学食で食事を摂るが、経済的に苦しいので、安い方の食堂で粗末な定食を食べる。奨学金という名の借金をして通う学生もいる。学校というところは、食堂でも学費でも、歴然とした《階級意識》を、学生に植えつけてくる。
卒論を書いている時に、全く関係ないそんな些細なことが気になって仕方がなかった。
夕方、早めにアルバイト先のレストランへ向かう。味には定評があり、庶民でも月に一度は来れる店だ。老若男女を問わず人気がある。テレビなどの取材は一切NG。地元の人しか知らない。「ネットの評判」とやらがなかった時代の、古き良き街角レストランだった。
質実剛健で格式張らないこの店で働いていると、私はホームグラウンドに帰ったような気持ちになれた。ヴェテランのウェイトレスにとって大事なことは、できた料理をタイミング良くお客様の前に出すことだ。回転とリズム。体がひとりでに動いていく。
来客のピークを過ぎると賄いが出た。一日に必要な栄養の大半は賄いで食べる。短い時間で掻き込む。厨房の一角で立って食べた。
就職活動では志望する出版社が通らず、最終的に、ある中堅機械メーカーの営業職として内定がもらえた。たった一つの内定だったが、志望していた職種からほど遠かったので、どうするか悩んでいた。
お正月は帰省したかったが、卒論が遅れていたので自室で執筆に集中することにした。
年末のレストランは、十二月三十一日まで繁忙期であり、手書きの伝票を書きまくる、正に書き入れ時だった。私は、ランチもディナーも休みなしでシフトを入れたので、体の疲労は溜りに溜っていった。
大晦日の営業が終わると、お正月の食料として余り物を大量にもらって、アパートに引きこもった。女子大生専用のアパートには、みな帰省し誰もいない。私一人だけが建物の中にいて、論文を書いていた。