アメリカ文学ゼミ

ウェイトレスという仕事は皿洗いよりましだと思っていたが、給料があまり違わないと知って一瞬肩の力が抜けた。制服のクリーニングは週に一度と決まっていて、夏場の忙しい時に汗するとブラウスが臭うような気がして、とてもイヤだった。仕事がひけるとブラウスだけ持ち出して、アパートの洗面所で水洗いした。

クリーニングに出した衣服についてくる針金のハンガーにブラウスを通して、翌日の昼までに乾くようにと、一番風通しの良いところに吊るし、夜中ではあったが両の掌でパンパンはたいて皺を伸ばした。

「ああ、男なら多少汚れていても、おかまいなしなのに……」女性に対してはなぜか厳しい基準がある。

大学を卒業したものの、志望通りに就職先が決まらなかった私は、レストランでアルバイトをしながら就職活動に取り組んでいた。ジャーナリストを育てる専門学校の聴講生になり、実戦的な英会話のスキルアップも怠らなかった。

大学では文学部英米文学科でアメリカ文学を専攻した。本当はイギリス文学のゼミに参加しアイルランド文学をやりたかったが、担当教授が伝統主義的な文学観のシェイクスピア学者であったためか、優等生以外はシャットアウト、私はイギリス文学ゼミに入れず、仕方なくアメリカ文学ゼミに拾ってもらった。

個性派が多いアメリカ文学ゼミの教授は放任主義の人で、学生は何ものにも縛られることなく、思い思いのやり方で作品と向きあった。自分の発表の番がまわってくると、卒論で取り上げる予定の作品を、ゼミ生仲間の前で〝講読〟する。

教育実習から帰ってきたばかりのK君が、ヘミングウェイの『老人と海』からいくつか選んだ場面(シーン)をコピーして配り、テキストを読み上げ、語句などを解説しながら、重要な段落を翻訳し自分流の解釈を加えた。

以前はラグビーばかりしていたK君だったが、四年生になって英語教師になる目標ができたからか、まじめで誠実な学生になった。