翌週、私の発表はまあまあの出来で後輩の反応もまずまずであった。『ライ麦』は学部二、三年生にはウケるが、四年生にはウケない。
私は『ライ麦』以外の、いわゆるサーガと呼ばれるほかの作品群も一通り目を通していたが、『ライ麦』の〝講読〟では、子どもの視点で描かれた小説を大人としてどう料理するかが試された。
ゼミ生は二年近くかけて一人の作家と向き合い研究する。またほかのゼミ生の発表もあるから、週に一作品は自分の担当以外の作家の作品も読む。
一見単調なテキスト読解中心の〝儀式〟だが、ほかの学生の分まできちんと原文で読めば、年に二、三十冊読む計算になる。まじめに取り組めば負担は重くなり、自分の分だけで済ませれば負担を軽くすることもできた。
一年次後期からゼミに入って「武者修行」と呼ばれる教授直伝の精読授業が終わると、二年次の後期に自分の担当を決める。先輩の作家を引き継ぐ人が多い。私は四年生のリカコさんから、サリンジャー担当を受け継いだ。
リカコさんは、ゼミで一番の英語力の持ち主で、既に一流商社に内定が決まっていた。そのような人から人気のあるサリンジャー担当の後を継ぐ人は、なぜか優等生でなければならないという不文律があった。
私の成績では少々難あり、とリカコさんから見られていたためか、卒業生との合同コンパの日、リカコさんは私と二人だけの時間をわざわざ作って、「サリンジャー班の伝統をよろしく頼む」と念押ししてきた。
「どうしてそこまで責任を負わなければならないんですか?」
「そりゃ、愛だわ。この世界にはハルキストがいるように、サリンジャーを愛する人がいるの。私たちはアメリカ文学ゼミの一員として、サリンジャーへの愛を貫かなければならないの」とリカコさんは真顔で言うのであった。
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