妻も診療、往診、町医、老健施設長、子育て、家事など随分頑張った。外来数は百~百五十名位で、手術は外傷と消化器疾患を主におこなっていたが、一九九〇年代になり、従来の開胸、開腹から、鏡視下手術の時代を迎えた。

出張に来てくれた後輩の鏡視下胆のう摘出術、気胸手術を見て時代は変わったと思い、二〇一〇年頃からヘルニア、虫垂炎、外来小手術以外は鏡視下手術ができる病院に紹介するようにした。約千例の手術を大過なく終えることができたのは、十年間の外科学教室のおかげだった。

わが国は、一九八六年にバブル景気が始まり浮かれていたが一九九三年に崩壊し、その後長い経済低迷が続くことになった。

そして、高齢社会の到来による社会保障費、医療費の増加を見据えて、二〇〇〇年に、介護保険制度が導入され、老人施設が整備されていき、「社会的入院」は次第に解消されていった。その後、数回の医療制度改定がおこなわれ、二〇一四年に二〇二五年を目標年とした地域医療構想による改定がおこなわれている(表1)。

第二節 筋萎縮性側索硬化症との出会い

一九九〇年頃突然、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんとの出会いがあった。六十歳後半の男性が数カ月前より食事が取れず動けなくなり入院された。衰弱が見られ悪性腫瘍を疑い検査をおこなったが異常は見つからなかった。

しばらくして呼吸困難となり大学病院の救命センターに搬送した。対応していただいた麻酔科の助教授に経過を説明し診察していただいたところ「アミトロではないかな?」と言われた。「アミトロ……ALSか!」

 

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